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♦♦♦♦♦♦♦♦♦北條不可思​​​"Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅠ・愚螺牛雑感記《Blog officiel de Singing monk》

"Song & BowzuMan”since 1981 & ENBAN “縁絆・野聖物語” concert endlesstour since 1996

"Song & BowzuMan”★ May 2022-#Ⅰ-b 唯信◆2022(令和4)年5月号『平等心をうるときを 一子地となづけたり 一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし』浄土和讃{親鸞聖人御作}



May 2022-#Ⅰ
【この穢愚身 唯今ここに 帰命尽十方無碍光如来】
北條不可思/法名:釋難思

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唯信◆2022(令和4)年5月号

謹みて 有縁の皆さまにおかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。コロナ禍も3年目となり、境内地(駐車場)ではツバメが3度目の巣作りをしています。新しく受け入れた事、あきらめた事、慣れた事、慣れない事…いろいろあると存じますが、迷い揺れる心をこそ『弥陀の願船』にお任せして参りたいと願うばかりです。

   *

平等びょうどうしんをうるときを 一子地いっしじとなづけたり

一子地は仏性ぶっしょうなり 安養あんにょうにいたりてさとるべし

 

【意訳】すべてのものを分け隔てなく見る心を得る境地を、あらゆるものをひとり子のように哀れむ一子地と申し上げる。この一子地は仏性である。浄土に至ってはじめてさとることができる。

(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)

平等心…煩悩の火が消えた境地、一切にとらわれるべき性質がないという平等法を身につけているので、自他、善悪、その他すべてを平等に見ることが出来る。

一子地…迷いの世界の一切の衆生(生きとし生けるものすべて)を一人子のように愛する心。仏のはたらきなので「仏性」ともいわれる。

   *

 正信念佛に生きる人は、安養(あんにょう/お浄土)に生れさせて頂き、阿弥陀仏と同じさとりを開き、衆生のだれをも一人子のようにあわれむ大慈悲心の境地を得させて頂けると、阿弥陀如来さまのおはたらきを讃えて詠まれました。親鸞聖人さまは、常に、ご自身の『仏との対話』を私たちに聞かせて下さいます。ですから、この御和讃を通して、親鸞さまが『私を一人子として尊く深い阿弥陀仏は大慈悲心をかけて下さっている』というよろこびと、そのはたらきへの深い報恩のお気持ちが伝わってきます。さらには、往生の素懐を遂げてお浄土に生れさせて頂く瞬間に、阿弥陀仏と同じ境地を得て、地獄に落ちるよりほかはない「私」が阿弥陀仏と同じに衆生を一人子のように慈しむことが出来るはたらきを恵まれる確信を喜ばれて、時空を超えた阿弥陀仏のはたらきにおまかせして今生を生き抜く、すなわち、真実信心に生きることを勧めて下さっている親鸞さまのお心がひしひしと伝わって参ります。

   *

 ところで、この御和讃で詠われている平等心は阿弥陀さまのお心のはたらきです。寂滅平等法身(じゃくめつびょうどうほっしん)の心を示していると伺っています。一切を平等に見るとは、一切にとらわれるべき性質がないという平等法を身につけているということです。

私は幼い頃からご法義話に触れる自覚もないままに接しておりました。1年の3分の2を布教で寺を離れている父が戻ると、両親が日常会話のように交わすご法義話が始まります。物心がつく頃には、私の知る平等は、仏様の平等でした。「人が願う正しさや等しさは、ただ我が思いで描く正しさや等しさであり完全円満にはならない」という自覚こそが大事だと、五〇音を習う前に身に沁みておりました。今にして思えば、もう少し世の中で融通の利くように教え導いてくれても良かったのでは?とも思いますが、それでも五、六歳の私は、自坊の法要にご出講されたご講師と父との本願寺派布教使同士の熱いご法義話をその傍らで静かに聞いていることが何よりも大好きでした。 

 そんな訳で、小学校入学以来、教室で語られる『平等』に疑問や違和感が生じました。ふと、今まさに現役の学生の方々に社会通念上の道徳心や正義感で語られる平等に違和感を抱きませんかと、お尋ねしたくなります。そして、もし感じるならば、その感じる心を大切にして頂きたいと思います。必ず善悪を超えた真実の平等心に遇えると信じます。

いつでも、どこでも、どんなときでもナモアミダ――                       

合掌称佛

                     住職  北條不可思




『遊牛の詩』

(1996年作)

歎異抄」第三条を機縁に― 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―






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https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9


枯れ葉の願い 1981-2022

謹みて 
心静かに八万四千といわれるお釈迦様の説教の中から、出世の本懐である「本願他力のみ教え」
浄土の法門、阿弥陀如来様の智慧と慈悲のお心を頂き、私共の一生をよくよく見つめてみれば、もはや、修行と学問を修め、成仏の証を完成できない末法の世にあって、まさに人の命は儚いもので、生涯の始まり、中頃、終わり、すべては夢、幻のようなものであります。 すなわち、人間にして一万歳の寿命を受けたということを知りません。一生は過ぎやすく、未だに誰か百年、二百年も生き長らえた人がありましょうか。死というものは、自分が先か、他人が先か、今日か明日かも分からず、自分より遅れたり、先に死んでゆく人は、木の葉につく雫や露よりもなお多いといいます。しかるに、朝には紅色の顔をしている若者が、もう夕方には死んで白骨になることも、また、事実であります。 まさに、死に至る縁は無量であります。 早くも無常の風が吹いてくれば、ふたつの眼はたちまちに閉じ、ひとつの息は永久に絶えてしまいます。紅色の顔は虚しく変わって、桃の季節のような美しい姿も消えてしまいます。
 その時に至って、親、子、夫婦、兄弟姉妹、師匠、弟子、知人、友人など、縁有る人々が集まり嘆き悲しんでも、元に戻ることはありません。これをお釈迦様は「諸行無常」と申されました。
そうそう悲しんでもいられず、野外におくって火葬にふせば、そこには唯、白骨のみ残ります。哀れといっても言い切れないほどの悲しみ、虚しさ、儚さ、さびしさであります。 我等が命の儚さは、老人が先か若人が先か、子供が先か、病の者が先か、健康な者が先か、全く分かりません。その答えは風に舞っているが如くであります。こい願がわくば、誰もがはやく、命の尊厳と真の誇りに目覚め、お釈迦様が説教くださる、大無量寿経の教説《阿弥陀佛の大いなる悲願》を心の拠り処とし、「南無阿弥陀佛 ナマンダブ」と念佛を称えつつ、仏教の教えには無い、占いや、まじない、たたり等といった迷信、邪教、外道に迷うことなく、与えられた今日の日をありのままに生き抜き、名残惜しくとも、この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき、限りない真実の智慧と慈悲の佛様の心の世界、西方阿弥陀佛国土へ往き生まれるのであります。これを浄土真宗において「往生浄土」と戴きます。
愚生は、罪業深重にして、学浅く、禿(カムロ=ザンバラ髪の意;愚生は現在巻き毛)の穢愚身無戒名字の念佛の僧侶ではありますが、命がけの尊いご縁を賜った皆様へ筆を取り、心を込めてお便りさせて頂きます。
 この文章は、混乱混迷の時代に人生を歩む私共へ、善人、悪人、性別、年齢を問わず、学問知識、名誉地位財産の有無を離れ、「阿弥陀如来の本願を信じ、念佛申うさば無条件に佛になる」と示され、在野に生き、『野の聖』と呼ばれ、和国・日本佛教の歴史のなかで異彩を放つ浄土真宗宗祖・親鸞聖人の御本意、『教行信証』『歎異抄』の一節を加え、本願寺第八代蓮如上人の『白骨の御文章』を取意自釈し、法話にかえて書き記させて頂きました。
 どうぞ、この佛縁によって、火宅無常の世界を乗り越えさせていただき、いよいよ眞実(マコト)の絆となりますよう心から念じております。            

~弥陀の本願に境界線はありません~
 南無阿弥陀佛
-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に― 

浄土真宗本願寺派(本山/京都・西本願寺 東京首都圏・築地本願寺)
 眞信山蓮向寺・当麻九坊院・ 住職 北條不可思(法名 釋難思) 2022



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♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023







『今日の日は永遠の今』

1981年作品

作詩・作曲 北條不可思



呈上
恩師​​はやし水月すいげつ和上わじょう

​​​​浄土真宗本願寺派(西本願寺) 勧学​​​

​​​​​​​京佛教学院​​​​​ 講師​​​:築地本願寺内

​​【中国新聞社:広島 元論説委員】


『犬はワン、ネコはにゃん。私はなんまんだぶつとなくんじゃね-』

『どんな時でも、衆生:シュジョウと出てきたときは《このわたくし》といただくのですよ』

林水月和上の常のお言葉です。41年を経ても忘れられない。f・HOJO 2022年

​​​​​『野聖物語~我が心の親鸞聖人』 ShinranShonin of my mind2009年発表】に収録
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncb2fec7e0055

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南无阿彌陀佛

NAMOWAMIDABUCHI

NAMOAMIDABUTSU

『心に慈慧の響きと平安を』

北條不可思

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IMAGINE&Blowinin the Wind With JION's bellby Fukashi Hojo

『イマジン』&『風に吹かれて』そして尊厳の鐘(北條慈音)


​​​​​​​IMAGINE&Blowin’in the Wind With JION's bell★by Fukashi Hojo# 2020
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-709.html



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PhotographyCopyright©(石原秀樹)JAPAN

"Song & owzuMan”since 1981

&

ENBAN 縁絆・野聖物語 concert endlesstour since 1996

Footprints


 






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"Song & BowzuMan”39BOOK pecial CD

《歌嘆骨音:KATANKOTON

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​​​​現代和讃を謡う吟遊詩人へ​​​

​​​​​​メッセ-ジ フロム 三國 連太郎​​
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  1. 2022/05/02(月) 02:08:00|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
《心に慈慧の響きと平安を》
  ❝Song & BowzuMan❞
    since 1981

縁絆&野聖物語
メッセージコンサート~1996
ENBAN&YAHIJIRImonogatari 
concert endlesstour
since 1996

縁絆・野聖 Endlesstour 
眞信讃歌 18minute
since 2019
*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身【三次生まれ呉育ち】

1961年10月14日生〔60歳〕

浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター

1981年10月15日〔20歳〕
得度
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市開教専従主管
(1986~2005)
:西本願寺相模原布教所:
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

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REV.FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times
Song&BowzuMan
singer-song writer 
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
   HONGWANJI-HA
NISHIHONGWANJI:KYOTO
http://www.hongwanji.or.jp
/english/teaching/

TSUKIJIHONGWANJI:TOKYO
(English Dharma Service)
https://tsukijihongwanji.jp
/lecture/saturday-english-service/

SHINRAN-SHONIN
( 1173 – 1263)
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おかげさまは
  ありがとうの生みの親

この穢愚身
  唯今ここに
   帰命尽十方無碍光如来 
 
 NAMOWAMIDABUCHI
    
    北條不可思
    (釋難思)

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