FUKASHIHOJO.COM#2/北條不可思・愚螺牛雑記

「日本経済新聞」文 化 欄 署名原稿 2004年

「日本経済新聞」文 化 欄 署名原稿 2004年 


Copyright(C) HIDEKI ISHIHARA Tokyo JAPAN 
(東京ボーズコレクション/東京・築地本願寺講堂バックステージ 2007.12.15) 


「日本経済新聞」文 化 欄2004年(平成16年)5月10日(月曜日) 
朝刊 文化(欄) 36(面)



僧侶シンガー 海外ツアー 

ギター携え伝える縁と絆、NYでテロの悲しみを歌う

北條 不可思


  私は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ソング・アンド・ボウズマン(歌うお妨さん)として独自の音楽活動をしている。俗に「二足のわらじ」というが、自分自身では使い分けている意識はなく、ベースは同じ表現者であると思っている。
  今月二十三日にはニューヨーク本願寺で歌わせていただく。米国は五年ぶり。9・11テロ事件の悲しみを歌った「悲しみを乗り越えて」を披露する。ニューヨーク本願寺には広島で被曝した親鸞聖人像が立っており、広島県出身の私としては、命と平和の尊さを訴えられればと念じている。

   ▽ ▽ ▽
  布教使の父の姿追う

【名も無き念仏の僧侶】 http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/ ... 603020000/

  私が現在のスタイルに至るにはいくつかの影響がある。一つには、僧侶で本願寺派布教使であった父の姿だ。父は御法話の講師として全国を歩き、一年の三分の二は自坊を空けていた。寺に戻れば汗だくで人々の前に立ち、ひたすらに真実を伝えたいという願いに突き動かされている後ろ姿は、幼い私には格好よくて憧れの存在だった。
  中学一年で知ったボブ・ディランやジョン・レノンというアーティストから注ぎ込まれたスピリットも大きい。当時ギターは高価な買い物で、小さな貧乏寺には大変な出費だったが、父はいただいた御法礼で十二弦のギターを買ってくれた。その日からひたすら我流でギターを弾いている。既成の曲でなく自分の歌を作り弾くのである。 
  私は何を表現しているのか。私は問いかけたいのだ。「私はこう受け止めます。あなたはどうですか?」と。自作の曲で世の中とコミュニケーションしたいのだ。 
  世に生きることは個の作業であるが、他とのかかわりを断ち切れない。断ち切ったら大変不自然なことに感じられる。なぜなら、命は他の命によって生みだされ、育まれているからだ。そこにコミュニケートすることへの欲求が生じる。

  ▽ ▽ ▽
  息子が脳性マヒに

  東京の仏教学校に通い二十歳で得度した。三歳から志していたお妨さんになったが、音楽活動もしたいという気持ちが業のように募った。僧侶の身で障りはないか。その悩みに答えてくれたのが、東京仏教学院(東京・築地本願寺内)の恩師、林水月和上だった。
  「親鸞聖人のご生涯を思えば、そんな悩みは小さい。真実信心をしっかりと聞いて精一杯に表現なさい」という師の言葉は、テレビ神奈川からいただいた15分のレギューラーコーナーを引き受ける後押しとなっただけでなく、「表現する」ことの意味を常に私に問い続ける重みがある。
  これまでに九十曲ほど作曲、CDも出した。コンサートではこの中から十五ないし二十曲を選んで歌う。音楽活動を通じ、俳優の三国達太郎さんをはじめいろいろな方々と出会う縁ができた。
  父は一九七八年、都市開教専従員という任を本山から拝命し、神奈川県相模原市に越してきた。私の十七歳の時だった。九三年に呉にあった寺を相模原に公式移転した。私は結婚したが、九四年に生まれた息子の慈音(じおん)が、重度の脳性マヒと診断された。
  息子を見ていると一息一息、一生懸命生きている。「世の中に役に立つからすばらしいのではない。何かをできようとできまいと、命そのものが尊い」と体全体でメッセージを突きつけてくる。
  私は音楽を断念しようとしたが、妻は「慈音が大きくなって自分のせいで父親が音楽をやめたと知ったら傷つく。やめないで」と言った。その時に浮かんだ言葉が絆(きずな)で、息子とのご縁を歌にしていこうと決心した。



   ▽ ▽ ▽
  大悲の願いを胸に



 こうして妻と息子と三人で九六年から、「縁絆(えんばん)コンサート」と名付けたツアーを始めた。表現の揚は、障害を持つ息子と世の中をつなぐかもしれないと考えた。偶然に出会った縁を共々に歩いていく絆として深められれば、とも。息子には、自らの五感で時代に吹く風を感じてもらいたい。
  九九年からは縁絆コンサートを大阪でも開催。二〇〇二年八月には広島の原爆資料館メモリアルホールで開いた。この時は、前年の米同時テロに触発されて作った私の新曲と、テレビでビルが崩れ落ちるのを見た慈音が足の指に絵筆をはさんで描いた「悲しい花火」という絵を展示した。
  米国には九九年に初めて行った。今回、三度日の米国ツアーとなるが、同時テロが起きた後、早く行きたいと思っていたので、思いがかなってうれしい。毎日、何かの命を喰ろうて生きている愚かしい自分だが、生きとし生けるものすべてにかけられた阿弥陀仏の大悲の願いを胸に精一杯に表現したいと念願している。

(ほうじょう・ふかし=音楽家蓮向寺住職) 

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をクリックして頂くと、以下の詩曲を聴く事ができます。

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航海の果てに/Copyright (C)Special JION Music/1999

悲しみを乗り越えて/Copyright (C)SJM/2002

涙の河を越えて/ボブ・ディランに捧ぐ(2009)FUKASHI HOJO&CanoBand

美しき我が故郷(2009)FUKASHI HOJO&CanoBand

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  1. 2008/05/18(日) 14:24:19|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
Photo Copyright
© YASUAKI HATAYA 
Osaka JAPAN
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北條不可思【愚羅牛】
ほうじょうふかし【ぐらぎゅう】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身
1961年10月14日生まれ


浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター


浄土真宗本願寺派・
東京首都圏
都市開教専従員(1986〜2005)
浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991〜)


日本仏教を代表する伝統宗派の ひとつである、浄土真宗本願寺派

本山・龍谷山本願寺(西本願寺)○京都市下京区堀川通花屋町下る
宗祖廟所・大谷本廟(西大谷)○京都市東山区五条(東山五条)
東京首都圏別院・本願寺築地別院(築地本願寺)東京都中央区築地


★2012年/平成24年に
宗祖親鸞聖人没後750年を迎える
浄土真宗本願寺派に僧籍を頂き、
親鸞聖人が表現し体現された
非僧非俗の風格を仰ぎ
 無位無官、在野の僧侶としての活動を基とし

1981年(昭和56年)得度を機に
"Song & BowzuMan=
  歌うお坊さん"
Message Performing Artist
として、


『縁』と『絆』

『命の尊厳』と『心の平安』を

キーワードに国内外で、
国境・人種・文化・信教・・・・
をも越えた
メッセージパフォーマンス
(コンサート、音楽講演)と
作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に
独自の音楽表現活動を展開。


布施によって生かされている者としての分限・分際の自覚から、
商業音楽・商業講演・
商業出版、,政治・社会運動等とは、一定の距離を保ち、深く関心を持ち敬意をはらいつつ、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、その活動を続けている。

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特に、重度障害を持つ、
息子慈音との
生活の中から始まった
「ENBAN・縁絆コンサート 
    エンドレスツアー」は、

*東京(1996年〜)築地本願寺


*大阪(1999年〜)トリイホール


*ニューヨーク(1999年〜)
ニューヨーク本願寺


*ニュージャージー(2000年)
アトランティックシティ
シェラトンホテル
コンベンションホール
浄土真宗本願寺派
北米教区仏教者大会に招聘


*長野(2001年)
白馬シャガール美術館


*広島公演(2002年8月〜)
原爆資料館メモリアルホ−ル


*京都公演
(2006年3月、2005年6月)
龍谷大学大宮学舎
本館講堂(重要文化財)


*Hometown/相模原
(1996年〜
グリーンホール相模大野)


*国立療養所長島愛生園
(2006年10月21日・特別公演)
など、国内外で開催され、
   現在も続けている。


《今後の予定》

【国内】
2010年9月11日
Hometown/相模原 
グリーンホール相模大野

【海外】
日程未定企画中
パリ フランス
      **********

『縁絆コンサート』は、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、スタートから一貫して入場無料・全席自由のスタイルで開催が継続されている。





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【私は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ソング・アンド・ボウズマン(歌うお坊さん)として独自の音楽活動をしている。俗に「二足のわらじ」というが、自分自身では使い分けている意識はなく、ベースは同じ表現者であると思っている。】
日本経済新聞署名原稿
2004年5月10日配信(文化欄)

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【僧侶と音楽家。
『二足のわらじ』という人もいるが、私は呼吸と思っている。息を吸っているときは仏教の心を吸収し、息を吐くときは歌となって出ていく」
音楽で表現するもの。仏教で表現するもの。それはいずれも「和の精神」であり、「命の尊厳」だ。】
(文 田中夕介)
産経新聞
2004年6月10日配信(全国版)

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『北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。これは、現代の和讃ではないか。
つまり、今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい』。
(メッセ−ジ フロム 
三國 連太郎 1994年)

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『僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する、一人の男の歌を聴いた』。
(メッセ−ジ フロム 
新井 満 1994年)

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推薦文
わが宗門より仏様のおこころを
歌にのせて一人一人のいのちへ語りかける青年僧侶が登場しました。
仏様の限りない呼び声に老若男女を問わず誰もが
いのちの尊厳に聞き入ることであります。
どうぞ一人でも多くの方へお伝え下さい。
浄土真宗本願寺派
総長 松村了昌 
1994年 平成6年4月6日

      


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メッセージコンサート、音楽講演、CD作品等の、商業的派手な宣伝、告知、広告、などは行っておりませんので、ホームページ等でご確認頂き、ご来場、ご購入いただければ有難く存じます。

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【オフィス・アミタハウス】
E−MAIL amitahouse@jcom.home.ne.jp
【北條不可思公式ホームページ】 http://fukashihojo.com./

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