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♦♦♦♦♦♦北條不可思​​​"Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅠ・愚螺牛雑感記♦♦♦

"Song & BowzuMan”since 1981 & ENBAN YAHIJIRIMONOGATARI 🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶“縁絆・野聖物語” message concert endlesstour since 1996

PRESS/MAGAZINE scrap 【北條不可思/音楽表現活動メディア紹介スクラップ】

PRESS/MAGAZINE scrap

 PhotographyCopyrightC RUDI VAN STARREX  AUSTRALIA

 (ANA All Nippon AirwaysMagazine

全日空機内誌/国際線版:WINGSPAN
September2000
 No.375





:news and article:ニュースと記事:





〝わたくし〟とは何者?

  AIが発達しても解決できない問題

蓮向寺住職・シンガーソングライター

               北條不可思

 

想像をこえる進歩

 いよいよ東京オリンピックパラリンピック2020のカウントダウンが始まりましたが、大阪万博2025決定のニュースに49年前の興奮がよみがえり、心が躍ってしまいました。

 9歳の私が目を見張ったのは、人の多さです。とにかく人だらけ。広島を発つ時は月の石を見ようと張り切っていましたが、アメリカ館の行列にガックリ肩を落としました。ようやく隙間を見つけてイスに座れたのはスイス館の前だったでしょうか。

 現在は、はやぶさⅡの帰還が待ち望まれているように、科学技術が空想をどんどん現実にしています。そして時代の寵児はなんといってもAI(人工知能)です。すでに私たちの暮らしの中に、また社会の中に、娯楽にも、学習にも、経済にも、海も山も国境も大気圏すらも越えてAIは活躍の場を拡張しています。私も知らぬ間に、AIの恩恵に浴しているのだと思います。

 なにしろAIは、膨大なデータを蓄積して忘却しません。感情がなくても、感情の意味を理解させて運用することが出来ます。囲碁や将棋の世界にデビューしたばかりの頃は、ほほえましく敗退していましたが、すでに世界ナンバー1の実力者を顔面蒼白にして勝利を収めています。AIの実相など到底把握しようがありません。ましてや、来る大阪万博にいかなる人類の英知が集結するのか想像も出来ません。すでにもうついていけないのですから。

 先日、人生相談を受けるAIロボットを紹介するドキュメンタリー番組を見る機会がありました。

まず手始めに、ボディランゲージを熟知しているので、相談者相互のしぐさを解読して人間関係を推量します。的確な指摘に場の緊張がほぐれます。各人の言い分を聞きつつ許可されたアドレスにアクセスして検索履歴を取得すると、当人が語らない興味関心の対象やデリバリーの注文内容をズバズバ公表します。心理療法士のプロフェッショナルな話術を駆使し、必要に応じてはうそ発見器の機能まで発動させて、消せない疑いを一蹴します。人間と違って躊躇や偏見を持たずに核心に迫りますが、そのくせ夫婦問題に踏み込む前には子供たちに退席を促す上々の気配りまで。モニターとして参加した人は、「連れて帰りたい」と一様に言いました。在宅AIロボットに相談すれば、余計な争いを回避できるし、疑心暗鬼に心悩ませる必要もなくなります。なるほど、魅力的ですね。

 

得がたいご縁

 しかし、良いこと尽くしとは言えません。問題は、解決すべき問題が枯渇しないことそのものです。つまり、最も向き合うべきは、「際限なく『解決を望む問題』が湧き出てしまう『わたくし』とは何者か?」という問いではないでしょうか。

「わたくし」は、定時に必要な栄養を摂取すれば動き続けられるほど単純ではありません。年令や性別や環境などに応じて欲するものは変化するし、得られるものも異なります。どれだけの財産があっても、いかなる地位にあっても全てを思い通りにすることは叶いません。なぜなら、生老病死を逃れる事ができないからです。

 それゆえに私は、宗祖親鸞聖人さまのみ跡を慕わずにはおれません。

 親鸞さまは、阿弥陀如来さまの大慈悲の御心に出遇われ、我がはからいを捨て去りおまかせするほかないと深く信知された後(のち)に、生死出ずる道を示されました。まさしく本願念佛を慶ぶ道です。

「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり」(注釈版聖典132ページ)と、鮮やかに顕された通り、AIの登場に関わらず、すでに本願念佛は深々(しんしん)と響いているのです。

そして、この「わたくし」は、仏智の眼(まなこ)に見抜かれた煩悩具足の凡夫であったと、つくづく思い至るのです。無常の世を限りある命で生きる身ではあるけれど、不思議にも人として生まれるご縁がありました。だからこそ、親鸞聖人さまが出遇われたように本願念佛に出遇うご法縁にも恵まれます。

これより先は、阿弥陀如来さまの大慈悲心のはたらきに遇うことの不可思議さを賜る有り難き道を、縁ある方々と共に歩きたいと願います。悲しみも喜びもお浄土参りの道中と味わいながら真(しん)に実りある日々を生き抜きたいと願う時、親鸞聖人さまのご和讃が心に響きます。


生死の苦海ほとりなし

ひさしくしづめるわれらをば

弥陀弘誓のふねのみぞ

のせてかならずわたしける

(同579ページ)


『みんなの法話』《❝わたくし❞とは何者?本願寺新報 (西本願寺)2019年3月10日発行 



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フォトドキュメント:現代和讃を謡う吟遊詩人へ  

メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 (1994年)

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-43.html




   
 June, 2004 (撮影・田中夕介氏/産経新聞記者)
日本仏教・浄土門:浄土真宗本願寺派、無位無官・在野の僧侶の活動を基本とし、1981年から音楽を通してメッセージ活動を始動。
特に再起を決意した1996年以降 《「日本経済新聞」文 化 欄 署名原稿 http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-253.html
"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"として、『縁』と『絆』『命の尊厳』と『心の平安』をキーワードに国内外で、国境・人種・文化・信教・・・をも越えたメッセージパフォーマンス(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に独自の音楽表現活動を展開し、 分限・分際の自覚から、商業音楽・芸能・出版業界,政治・社会運動等とは一定の距離を保ち、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、その活動を続けている。
 【おもなメディアでの署名原稿、インタビュ-、活動紹介】

「NHKニュ-ス短編特集」<横浜放送局制作> 「本願寺新報」「中外日報」「毎日新聞・ひと欄」
「産経新聞・特集欄」/「朝日新聞・京都版」/「読売新聞・相模版」/『Jドキュメント・詩う生草坊主』60分(スカイパーフェクトTV)、『スーパーモーニング』(テレビ朝日)/『Live Five』(KBS京都)『WINGSPAN』(全日空機内誌国際線版)、『週刊女性』(主婦と生活社)、『女性自身』(光文社)シリーズ人間、『総特集ジョン・レノン』(河出書房新社)/『中国新聞(広島)・特集欄』/RCC中国放送(広島)ニュ-ス特集/「日本経済新聞」 ・文化面署名原稿寄稿(全国版)/ タウンニュース(地元紙) 他で 活動紹介されている。

PRESS/MAGAZINE scrap(掲載記事)

(facebook・フェイスブック)
https://www.facebook.com/fukashi.hojo
☆彡☆★★★★★★★★☆彡


※2010年7月小脳梗塞となるが、九死に一生を得る。

2011年7月には、息子・慈音が食事を詰まらせ、1時間以上にわたり

心肺停止という重篤な状態から一命を取り留める。

現在は、様々な援助を頂きつつ、在宅で一息一息を頂いている。

この生活の中から、阿弥陀如来の

深い深い智慧と慈悲のはたらきを味わいつつ

歌い、そして語り続けている。
 

☆彡☆★★★★★★★★☆彡

【北條不可思/音楽表現活動メディア紹介】

現在までに、様々なメディアにおいて、取材者の誠に誠実な文章や映像をもって、愚生の活動を紹介していただております。
音楽表現活動を進めていくにあたって、言葉に尽くせぬ励みを頂いております。
活動を開始した当時は、宗教を問わず国内では、余興的なものを除き、
僧侶の立場で一般社会にシリアスなテーマをメッセージする方は少なかったと記憶しています。
 
現在においても困難な状況は変わっていませんが、言の葉に命を宿すと信じていく限り、詩曲に願いを込めて、歩み抜きたいと肝に銘じております
 北條不可思:愚螺牛(法名;釋難思)
―Fukashi GURAGY Hojo ShakuNanshi―
 
PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】


 Copyright (C) RUDI VAN STARREX  AUSTRALIA  ( ANA All Nippon Airways Magazine)
(全日空機内誌/国際線版:WINGSPAN
)https://www.ana.co.jp/mediastation/wingspan/1504/ September2000 No.375 
《Please click》 Rudi van Starrex 
 

ボブ・ディラン氏も70歳の記念記事.「翼の王国」掲載されたそうだ。・・・ご縁です。 


 

 
文藝別冊 総特集 ジョン・レノン 河出書房新社 2000年10月9日発行
Aya separate volume Total feature "John Lennon"
Kawaide Shobo Shinsha Issue on October 9, 2000

《Please click》
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASI ... ollobob-22
《Please click》
http://homepage2.nifty.com/beatopia/yumejohn.html
《SPECIAL》 『Thanks THE PLAZA HOTEL new york』↓
http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/20060317/ 

 
月刊誌『MODO San :http://www.midosan.jp/大阪・本願寺津村別院発行) 随想 「歌と平和」2002年2月1日
MIDOSAN/Occasional thoughts“Song and peace” February1, 2002 
  



seriosness&dignity 







 
 シリーズ人間:女性自身 光文社 平成13年3月20日号 
 
お経ではなく歌でメッセージを伝える“ボブ・ディラン坊主”こと
蓮向寺住職北條不可思さん。
脳性マヒの長男慈音くんと奏でる"命の讃歌"----。 《本誌リードより》 






 
BOSS 月刊ボス2005年3月号 






 
 毎日新聞 全国版 「ひと」1994年7月8日
Mainichi Shimbun/Nationwide version July 8, 1994 


 
中国新聞(広島)「洗心」 2002年2月26日(取材・論説委員 岩崎 誠氏)
Chugoku Shinbun/SENSHIN February 26, 2002 


  
中国新聞(広島)2002年9月1日

 



本願寺新報1996年8月20日 一面トップ 蓮如上人500回遠忌関連
hongwanjijournal august 20, 1996 



 
中外日報/1998年10月31日 Chugainippoh October 31, 1998 


 
読売新聞・相模版/The Yomiuri Shimbun Sagami version 
1993年秋
土ひと握り、板一枚ない中、有縁者と共に眞信山蓮向寺/蓮向寺教会(AmitaHouseBuddhistChurch)

本堂建立。 (眞信山蓮向寺/神奈川県相模原市当麻九坊院)
  

 
産経新聞・全国版/2002年9月1日
The Sankei Shimbun nationwide version September 1, 2002
 
 


読売新聞 「かるちゃあ かるちゃあ」1994年1月14日
The Yomiuri Shimbun January 14, 1994 



 
産経新聞 夕刊/ 2000年11月29日
The Sankei Shimbun evening newspaper November 29, 2000
***本取材で、仏教精神を「オンリー・ワン」と英語的表現。その3年後、アイドルグループが日本中で歌っているのを見るにつけ、作者、歌手に特別な意識は無かったとは思うが、心から有り難く思った*** f.hojo 



 
読売新聞 2002年11月26日
The Yomiuri Shimbun November 26, 2002 
 

 
朝日新聞 京都版/2004年2月27日
Asahi Shimbun Kyoto version February 27, 2004
***浄土真宗本願寺派・宗学院別科の一年間の聴講を終え、宗学院別科三部作と名付けた「Blues for Buddha―大悲の詩―」「おかげさまで ありがとう」「茜雲~生まれ往く者へ~」の3曲の詩曲を書く。紙面で「Blues for Buddha―大悲の詩―」の歌詩を掲載して頂けた事に、心より深謝申し上げたい。*** f.hojo 

浄土真宗本願寺派
宗学院 (浄土真宗本願寺派勧学寮内・京都)別科受講修了

【安心論題御講師:本願寺派勧学 内藤智康和上】
 親鸞聖人750回大遠忌メッセージイベント
野聖物語「我が心の親鸞聖人」
東京・築地本願寺ブディストホール2009年5月16日 
 
《呈上作品》
『おかげさまでありがとう』《西本願寺・宗学院別科三部作》:詩曲© 北條不可思(築地本願寺/2009);Japon   
YouTube/http://www.youtube.com/watch?v=33QcRTd2Sls&feature=related

【三経七祖御講師:本願寺派司教 大田利生和上】
 親鸞聖人750回大遠忌メッセージイベント
野聖物語「我が心の親鸞聖人」
東京・築地本願寺ブディストホール2009年5月16日 

《呈上作品》
『BluesForBuddha』
 
-大悲の詩-《西本願寺・宗学院別科三部作》 :詩曲 ©北條不可思;Japon(築地本願寺/2009)
YouTube/http://www.youtube.com/watch?v=3GwESPz964k&feature=related




【佛教概論御講師:本願寺派勧学 淺田恵真(正博)和上】
 親鸞聖人750回大遠忌メッセージイベント
野聖物語「我が心の親鸞聖人」
東京・築地本願寺ブディストホール2009年5月16日

《呈上作品》   
 『茜雲』~生まれ往く者へ~ 《西本願寺・宗学院別科三部作》:詩曲 ©北條不可思;Japon (築地本願寺/2009) 
YouTube/http://www.youtube.com/watch?v=_SPm3CDDnOA
BluesForBuddha-大悲の詩-Copyright ©  Special JION Music
大悲の詩
野聖物語 東京・築地本願寺ブディストホール2009年5月16日
YahijiriMonogatari at TsukijiHongwanji Tokyo JAPAN .May 16,2009


 
産経新聞 全国版社会面 2004年3月6日
The Sankei Shimbun nationwide version social column March 6, 2004
日本経済新聞 署名原稿 全国版 2004年 5月10日
Nihon Keizai Shimbun signature manuscript nationwide version May 10, 2004

“航海の果てに/英語訳バージョン ”/Verse and Sentence by FUKASHI HOJO

 PHOTO べサック ニューヨーク 2004

『BowzuManInNewYork』

ありがとうニューヨーク

PHOTOニューヨーク国連本部

僧侶シンガー 海外ツアー 

ギター携え伝える縁と絆、NYでテロの悲しみを歌う

北條 不可思



  私は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ソング・アンド・ボウズマン(歌うお妨さん)として独自の音楽活動をしている。俗に「二足のわらじ」というが、自分自身では使い分けている意識はなく、ベースは同じ表現者であると思っている。
  今月二十三日にはニューヨーク本願寺で歌わせていただく。米国は五年ぶり。9・11テロ事件の悲しみを歌った「悲しみを乗り越えて」を披露する。ニューヨーク本願寺には広島で被曝した親鸞聖人像が立っており、広島県出身の私としては、命と平和の尊さを訴えられればと念じている。

   ▽ ▽ ▽
  布教使の父の姿追う【名も無き念仏の僧侶】

  私が現在のスタイルに至るにはいくつかの影響がある。一つには、僧侶で本願寺派布教使であった父の姿だ。父は御法話の講師として全国を歩き、一年の三分の二は自坊を空けていた。寺に戻れば汗だくで人々の前に立ち、ひたすらに真実を伝えたいという願いに突き動かされている後ろ姿は、幼い私には格好よくて憧れの存在だった。
  中学一年で知ったボブ・ディランやジョン・レノンというアーティストから注ぎ込まれたスピリットも大きい。当時ギターは高価な買い物で、小さな貧乏寺には大変な出費だったが、父はいただいた御法礼で十二弦のギターを買ってくれた。その日からひたすら我流でギターを弾いている。既成の曲でなく自分の歌を作り弾くのである。 
  私は何を表現しているのか。私は問いかけたいのだ。「私はこう受け止めます。あなたはどうですか?」と。自作の曲で世の中とコミュニケーションしたいのだ。 
  世に生きることは個の作業であるが、他とのかかわりを断ち切れない。断ち切ったら大変不自然なことに感じられる。なぜなら、命は他の命によって生みだされ、育まれているからだ。そこにコミュニケートすることへの欲求が生じる。

  ▽ ▽ ▽
  息子が脳性マヒに

  東京の仏教学校に通い二十歳で得度した。三歳から志していたお妨さんになったが、音楽活動もしたいという気持ちが業のように募った。僧侶の身で障りはないか。その悩みに答えてくれたのが、東京仏教学院(東京・築地本願寺内)の恩師、林水月和上だった。
  「親鸞聖人のご生涯を思えば、そんな悩みは小さい。真実信心をしっかりと聞いて精一杯に表現なさい」という師の言葉は、テレビ神奈川からいただいた15分のレギューラーコーナーを引き受ける後押しとなっただけでなく、「表現する」ことの意味を常に私に問い続ける重みがある。
  これまでに九十曲ほど作曲、CDも出した。コンサートではこの中から十五ないし二十曲を選んで歌う。音楽活動を通じ、俳優の三国達太郎さんをはじめいろいろな方々と出会う縁ができた。
  父は一九七八年、都市開教専従員という任を本山から拝命し、神奈川県相模原市に越してきた。私の十七歳の時だった。九三年に呉にあった寺を相模原に公式移転した。私は結婚したが、九四年に生まれた息子の慈音(じおん)が、重度の脳性マヒと診断された。
  息子を見ていると一息一息、一生懸命生きている。「世の中に役に立つからすばらしいのではない。何かをできようとできまいと、命そのものが尊い」と体全体でメッセージを突きつけてくる。
  私は音楽を断念しようとしたが、妻は「慈音が大きくなって自分のせいで父親が音楽をやめたと知ったら傷つく。やめないで」と言った。その時に浮かんだ言葉が絆(きずな)で、息子とのご縁を歌にしていこうと決心した。

 



  ▽ ▽ ▽
  大悲の願いを胸に


こうして妻と息子と三人で九六年から、「縁絆(えんばん)コンサート」と名付けたツアーを始めた。表現の揚は、障害を持つ息子と世の中をつなぐかもしれないと考えた。偶然に出会った縁を共々に歩いていく絆として深められれば、とも。息子には、自らの五感で時代に吹く風を感じてもらいたい。
  九九年からは縁絆コンサートを大阪でも開催。二〇〇二年八月には広島の原爆資料館メモリアルホールで開いた。この時は、前年の米同時テロに触発されて作った私の新曲と、テレビでビルが崩れ落ちるのを見た慈音が足の指に絵筆をはさんで描いた「悲しい花火」という絵を展示した。
  米国には九九年に初めて行った。今回、三度日の米国ツアーとなるが、同時テロが起きた後、早く行きたいと思っていたので、思いがかなってうれしい。毎日、何かの命を喰ろうて生きている愚かしい自分だが、生きとし生けるものすべてにかけられた阿弥陀仏の大悲の願いを胸に精一杯に表現したいと念願している。

(ほうじょう・ふかし=音楽家 蓮向寺住職) 

悲しみを乗り越えて/Copyright (C)Special JION Music

 




 
産経新聞 全国版 特集「わたし流」 2004年6月10日 (取材・田中夕介氏)
The Sankei Shimbun nationwide version feature  

 
読売新聞 2005年1月1日特集「親と子」
 

pohto from YOMIURI SHIMBUN official:2005
写真/読売新聞オフィシャルフォト:2005年

 The Yomiuri Shimbun feature "Parents and child"(取材・木田滋夫氏)
http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200605020000/

 

遊牛の詩Copyright ©  Special JION Music 1996



生草医者のひとりごと おちこぼれ公衆衛生医のエッセー   
草医者のひとりごと』2006年5月初版発行 

  
深友 福永一郎 氏;医学博士 御著書に寄稿







 
本願寺新報 みんなの法話
hongwanjijournal signature manuscript March 01, 2008
 BluesForBuddha-大悲の詩-Copyright ©  Special JION Music

中外日報/2008年10月30日 Chugainippoh October 30, 2008
***愚生が帰属させていただいている宗門の転機と,同紙面の記事掲載には
不思議なる縁を感じた***-F.HOJO-

タウンニュース(神奈川県) 2009年5月 
TOWN NEWS(Sagamihara City KANAGAWA Ken)
野聖物語/Yahijiri Monogatari Copyright ©  Special JION Music
hongwanjishinpo-3000-yahijiri.jpg 
本願寺新報(3000号記念)2009年6月10日
 hongwanjijournal signature manuscript June 10, 2009


 
大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌:2014年2月号「病に生きる;No1/3」寄稿
大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌:2014年2月号

病に生きる;No1/3」寄稿http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-150.html
 




 
大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌:2014年3月号「病に生きる;No2/3」寄稿
 大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌
:2014年3月号

病に生きる;No2/3」寄稿
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-149.html





  
大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌:2014年4月号「病に生きる;No3/3」寄稿


こ大乗《浄土真宗本願寺派・西本願寺機関誌:2014年4月号 
病に生きる;No3/3]寄稿 http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry148.html 


「御堂さん」西本願寺津村別院月刊誌 2014年10月号

大阪・本願寺津村別院発行)  「我が子と共に歩んだ二十年」2014年10月号 
MIDOSAN/20 years followed with my child ” October, 2014 

 
わが子とともに二十年

                         北條 里恵:ほうじょう さとえ



わが子との歩みは、二十一時間を超える難産から始まりました。名づけた名前は「阿弥陀さまのお慈悲の声」を意味する慈音(じおん)―。しかし、現実は、わが子が私に挑戦状をたたき付けているような「戦い」の連続でした。


生存のすべてを担う

 
 育児書通りに行くことはありません。寝ないし、食べないし、動きません。六カ月検診で「少し発育が遅れている」と言われ、「育て方が悪い」と指摘されたこともあります。私は「ごめんね、慈音くん、こんな私が母親で…」と挫けるばかりでした。


 一年が過ぎた頃、「脳性マヒ」の診断が下りました。障害が判明することと、状況が改善されることは別物です。三歳を越えるまでは睡眠障害が続き、二、三時間ひたすら、朦朧としながらも泣き続ける慈音を、抱き続けるしかありませんでした。


 それでも、少しずつ障害の実相のようなものがわかるようになってきました。「寝ない」のではなく「寝られない」、「食べない」のではなく「食べられない」という現実を、慈音は生きるしかないのです。「その現実を、共に引き受けよう」。それが、母親として、私の唯一の覚悟でした。介助者として、食事も、睡眠も、トイレ・お風呂まで、つねに一緒。慈音の生存に関わるすべてを担いました。でも、その日常がお互いを深く理解する時間でもありました。


 慈音は、重度の脳性マヒアテトーゼ型で、一つの姿勢でいることが一番の苦手なんです。だから、イスに座って食事をすることがとてつもない苦痛を伴います。だから、後ろから抱きかかえて座り、食べさていました。目と目を合わせる事は出来ませんが、一緒にテレビを観ながら「対話」をします。慈音の趣味嗜好は、アニメ、お笑い、特撮モノ、サスペンスに古代文明……と、結構多岐に渡り、身体的にはキツイけど、とても楽しい食事時間でした。慈音は、足の動きが一番良くて、たくさんのサインを考案したり、文字盤を使ったりして、ウイットに富んだ「発言」をします。

 慈音が大きくなってくると、「このシーンで、こいつ(私のこと)は泣くゾ!」というのが分かって、足でティッシュをつまみ、ピッと取って、渡してくれるんです。私は「悪いね」って言って、涙を拭き、鼻水を咬むんです。なんか、すごく幸せですよね。
 
全介助を引き受けているからといって、すべての時間を慈音にだけ奉げるというわけにはいきません。彼は彼なりに不本意だったり、不満足であったりしても譲歩しなければならないこともたくさんあったと思います。でも、積み重ねた時間が、共に暮らし、互いに認め合い、許し合い受け入れるということを可能にしてくれたと思います。


医療ケアが必須条件

ところが、そういう状態でなくなったのが、三年前の心肺停止からでした。


 慈音が高校二年の夏のこと、食べ物が詰まり、呼吸が停まりました。「周りは真っ青になり動転しても、本人は一瞬、フッとなってそれ以上の苦しみはなかった」って、後日、長年診てもらってきたドクターが慰めてくれました。


 大学病院に入院した二ヶ月間で人工呼吸器がはずれ、気道の確保のために気管切開をしました。その後、在宅での医療ケアを転院先の病院に母子で三週間弱泊まり込み、超特急で教えていただきました。 


 あの三ヶ月間は本当に奇妙な時間でした。「いのち助かってよかったね、慈音くん、やっぱり強いねぇ」と喜んでくださる周囲の声とは裏腹に、私には慈音の失くしたものの大きさがショックでしたし、それ以上の何かがありました。


 それまでは「慈音の生存のすべてを担っている」という母親の自我が、まったく役に立たないと思い知らされました。それまで縁遠かった医療ケアが、慈音の生存の必須条件になり、私はなんの手出しも出来ませんでした。見ず知らずの看護師さんが手際よく慈音に必要なことを片付けていく様は衝撃でした。母であっても無力って現実を認めるのは辛かったです。

二十四時間の医療が確約されている病院を離れ、自宅での日常を確立するまでは、本当に難儀の連続でした。

血中酸素濃度と心拍数をモニタリングしているのですが、排痰マッサージが間に合わずに警告音、筋肉の硬直が強まりすぎて警告音、遥か彼方の海上に台風が発生しても警告音が鳴りました。モニターの数字を頼りに酸素の流量を調節しながら、「私、素人なんだけど…」とつぶやいていました。栄養剤の注入は日に三回ですが、気管や鼻腔からの吸引は頻回で昼夜を問いません。洗面、洗顔、洗髪、清拭、体位交換などもすべて床上で行いますし、これで熱が出たり、関節が腫れたりすれば、、ほぼ二十四時間ベッドサイドにへばりつきでした。

余裕が生まれた頃
帰宅当初から慈音の在宅医療ケアを支えてくれている訪問医療スタッフの存在なくして、慈音の命の継続はなかったと思います。神経も体力も消耗する日々を、それぞれの専門性を通して助けて下さいました。我が家には、ドクターやナースだけでなく、歯医者さんやリハビリも視野入れたマッサージの先生、薬を配達してくれる薬剤師さんが来てくれます。恵まれた体制を得られたことが、慈音のみならず家族みんなの心身の安定につながっていると思います。

今では気管切開術で開いた喉の穴に装着するカニューレという器具の交換や、経鼻栄養のチューブの交換もひとりで出来るようになりました。チューブは、鼻の穴から胃まで五十七㎝挿入します。

そんな余裕が生まれたところで、私は病気になりました。

慈音の受診で伺った外来で「お母さん病院行ってね」って言われたけれど、まだ大丈夫だって思っていたんです。でも、結局はケアが至らず慈音が肺炎を起こしかけてしまい、自分が限界を越えていると知らされました。今年の四月に浮腫みと貧血で受診して、深部静脈血栓、肺塞栓症、子宮筋腫と診断されました。今は真面目に薬も飲んで、日常に支障はありません。

思い返せば凄まじい日々でしたが、すべてを喪失したような慈音のなかに、微かに、でも確かに宿っている本質を見出しながら暮らしてきたように感じます。慈音が三、四歳の頃、保育園のお誕生会で「お子さんのいいところは?」と訊ねられて、「生まれてきてくれたことです」と答え、先生が拍手してくれたのを覚えていますが、あの時の気持ちは、今も変わりはありません。この十月、慈音は満二十歳になります。おかげさまですね、本当に。(談)

北條里恵プロフィール;ほうじょうさとえ 1963122日、東京都杉並区生まれ。
和光大学人文学部人間関係学科卒業。
199339日、蓮向寺住職・音楽家 北條不可思と結婚。翌年1018日、慈音誕生。蓮向寺坊守。





MIDOsan;御堂さん」本願寺津村別院機関月刊誌600号寄稿

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-358.html





本願寺新報[京都;西本願寺機関紙]みんなの法話 2016620日配信


仏教タイムス 2017年(平成29年)83日号

 やまゆり園事件1年 

障がい者のいのちに向き合う②

 重度脳性マヒの息子と共に 心に差し込む光を求めて  

北條不可思住職 里恵坊守

 ボブ・ディランに憧れ、ロックを奏でる「歌うお坊さん」の先駆けとして80年代から活動していたのが、相模原市の浄土真宗本願寺派蓮向寺・北條不可思住職(55)だ。7年前、脳梗塞で倒れたがリハビリに励み、現在でもギターを手に歌い続けている。後遺症は残っているとのことだが、730日に坊守の里恵さん(53)と共に元気な様子で取材に応じた。

 同じ市内で発生したやまゆり園事件から1年を経て、北條氏は西条八十作詞・成田為三作曲の童謡「かなりや」を歌った。「唄を忘れたかなりやは 後ろの山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ」。このかなりやを障がい者に置き換えて聴いてほしい、という思いを込めてだ。(ユーチューブに公開中)。

 北條氏の息子、慈音さん(22)も重度の脳性マヒを背負っている。

 慈音さんは生後1年が過ぎた頃に脳性マヒと診断された。診断を受け、一度は歌うことを諦めた北條氏だったが、里恵さんと二人三脚の子育ての中で、歌に載せてメッセージを発したいという情熱がまた芽生えて再開した。「成長して、自分のために歌をやめたと知ったら、息子は悲しむかもしれない」という思いもあった。「善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ Oh My Son このメッセージが聞こえるかい」と歌う「遊牛の詩」は慈音さんに捧げた代表曲だ。当時の慈音さんは足の動きは良く、文字盤を使うなどしてコミュニケーションも活発で、楽しい生活だった。

 アメリカに家族で渡った時に、眼鏡をかけた女性が介助してくれたことが今でも心に残る。「一見、どこも健常者と変わらないようなその女性が、『私も障がい者です』と言うんです」。不思議に思っていると「この眼鏡がそうです」と告げられた。「慈音くんは車いすに乗っている。私は眼鏡がなければ何も見えない。重度かそうでないかという違いがあっても、障がいを持つということでは同じなんです」。だから助け合って生きるんだと女性は語ったという。これには衝撃を受け、いのちの平等性が改めて心に刻まれた。

 2011年夏、慈音さんは食べ物を詰まらせ、心肺停止状態になる。手術で一命はとりとめたが、現在は自宅で介護を受けている。それでも寺の生活は明るい。

 里恵さんは、慈音さんが保育園の頃に「お子さんのいい所は?」と尋ねられ、「生まれてきてくれたことです」と答えた。今もその心に変わりはない。

 やまゆり園の事件の一報を聞いた時、「じわーっと悲しみが広がっていった。怒りではなく悲しみが」と北條氏は振り返る。それは殺傷された人たちやその家族の直接の悲嘆だけでなく、植松被告の内面を含めて「人間って悲しいな」ということだった。「あの犯人は私だ、と自分に問いかけた人がいたでしょうか。あの愚かとしか言いようのないことを自分の問題として捉え、内省できたでしょうか」と問いかける。

 北條氏は「わがこころのよくて殺さぬにはあらず、また害せじとおもふとも百人千人殺すこともあるべし」という歎異抄の言葉を噛みしめる。「語弊を恐れず言えば、あの事件は、驚くべきものではなかった」と、植松被告だけではない、人間が普遍的に持つ悪の問題であると捉える。

 植松被告の「心の闇」は今でも取りざたされている。しかし「すべての生き物は光を求める。特に人は心の光を求める」と北條氏は確信している。迷い内省する心に差し込む光が宗教ではないかと述べた。

 横浜市内で開かれたやまゆり園の追悼行事に出席したやまゆり園家族会「みどり会」代表の大月和真氏は、記者に「植松被告を諭して、導いてあげられるお坊さんはいないのでしょうか」と打ち明けた。

 その問いにすぐに答えることはできなかった。しかし、北條氏が語る言葉には、植松被告にさえも「救い」があるべきかを、深く考えさせられた。(越高陽介)

仏教タイムス-from wikipedia 






http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-495.html

〝わたくし〟とは何者?

  AIが発達しても解決できない問題

蓮向寺住職・シンガーソングライター

               北條不可思

 

想像をこえる進歩

 いよいよ東京オリンピックパラリンピック2020のカウントダウンが始まりましたが、大阪万博2025決定のニュースに49年前の興奮がよみがえり、心が躍ってしまいました。

 9歳の私が目を見張ったのは、人の多さです。とにかく人だらけ。広島を発つ時は月の石を見ようと張り切っていましたが、アメリカ館の行列にガックリ肩を落としました。ようやく隙間を見つけてイスに座れたのはスイス館の前だったでしょうか。

 現在は、はやぶさⅡの帰還が待ち望まれているように、科学技術が空想をどんどん現実にしています。そして時代の寵児はなんといってもAI(人工知能)です。すでに私たちの暮らしの中に、また社会の中に、娯楽にも、学習にも、経済にも、海も山も国境も大気圏すらも越えてAIは活躍の場を拡張しています。私も知らぬ間に、AIの恩恵に浴しているのだと思います。

 なにしろAIは、膨大なデータを蓄積して忘却しません。感情がなくても、感情の意味を理解させて運用することが出来ます。囲碁や将棋の世界にデビューしたばかりの頃は、ほほえましく敗退していましたが、すでに世界ナンバー1の実力者を顔面蒼白にして勝利を収めています。AIの実相など到底把握しようがありません。ましてや、来る大阪万博にいかなる人類の英知が集結するのか想像も出来ません。すでにもうついていけないのですから。

 先日、人生相談を受けるAIロボットを紹介するドキュメンタリー番組を見る機会がありました。

まず手始めに、ボディランゲージを熟知しているので、相談者相互のしぐさを解読して人間関係を推量します。的確な指摘に場の緊張がほぐれます。各人の言い分を聞きつつ許可されたアドレスにアクセスして検索履歴を取得すると、当人が語らない興味関心の対象やデリバリーの注文内容をズバズバ公表します。心理療法士のプロフェッショナルな話術を駆使し、必要に応じてはうそ発見器の機能まで発動させて、消せない疑いを一蹴します。人間と違って躊躇や偏見を持たずに核心に迫りますが、そのくせ夫婦問題に踏み込む前には子供たちに退席を促す上々の気配りまで。モニターとして参加した人は、「連れて帰りたい」と一様に言いました。在宅AIロボットに相談すれば、余計な争いを回避できるし、疑心暗鬼に心悩ませる必要もなくなります。なるほど、魅力的ですね。

 

得がたいご縁

 しかし、良いこと尽くしとは言えません。問題は、解決すべき問題が枯渇しないことそのものです。つまり、最も向き合うべきは、「際限なく『解決を望む問題』が湧き出てしまう『わたくし』とは何者か?」という問いではないでしょうか。

「わたくし」は、定時に必要な栄養を摂取すれば動き続けられるほど単純ではありません。年令や性別や環境などに応じて欲するものは変化するし、得られるものも異なります。どれだけの財産があっても、いかなる地位にあっても全てを思い通りにすることは叶いません。なぜなら、生老病死を逃れる事ができないからです。

 それゆえに私は、宗祖親鸞聖人さまのみ跡を慕わずにはおれません。

 親鸞さまは、阿弥陀如来さまの大慈悲の御心に出遇われ、我がはからいを捨て去りおまかせするほかないと深く信知された後(のち)に、生死出ずる道を示されました。まさしく本願念佛を慶ぶ道です。

「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり」(注釈版聖典132ページ)と、鮮やかに顕された通り、AIの登場に関わらず、すでに本願念佛は深々(しんしん)と響いているのです。

そして、この「わたくし」は、仏智の眼(まなこ)に見抜かれた煩悩具足の凡夫であったと、つくづく思い至るのです。無常の世を限りある命で生きる身ではあるけれど、不思議にも人として生まれるご縁がありました。だからこそ、親鸞聖人さまが出遇われたように本願念佛に出遇うご法縁にも恵まれます。

これより先は、阿弥陀如来さまの大慈悲心のはたらきに遇うことの不可思議さを賜る有り難き道を、縁ある方々と共に歩きたいと願います。悲しみも喜びもお浄土参りの道中と味わいながら真(しん)に実りある日々を生き抜きたいと願う時、親鸞聖人さまのご和讃が心に響きます。


生死の苦海ほとりなし

ひさしくしづめるわれらをば

弥陀弘誓のふねのみぞ

のせてかならずわたしける

(同579ページ)


『みんなの法話』《❝わたくし❞とは何者?》本願寺新報 (西本願寺)2019年3月10日発行 





 


Brief history/活動略歴】#2

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html



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音楽表現活動を進めていくにあたって、言葉に尽くせぬ励みを頂いております。

活動を開始した当時は、宗教を問わず国内では、余興的なものを除き、
僧侶の立場で一般社会にシリアスなテーマをメッセージする方は少なかったと記憶しています。
 
現在においても困難な状況は変わっていませんが、言の葉に命を宿すと信じていく限り、詩曲に願いを込めて、歩み抜きたいと肝に銘じております。―愚螺牛―
 

  1. 2008/05/18(日) 14:23:00|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
     ♦♦♦♦♦

《心に慈慧の響きと平安を》
  ❝Song & BowzuMan❞
    since 1981

縁絆&野聖物語
メッセージコンサート~1996
ENBAN&YAHIJIRImonogatari 
message concert endlesstour
since 1996

縁絆・野聖 Endlesstour 
眞信讃歌 18minutes
since 2019
*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身【三次生まれ呉育ち】

1961年10月14日生

浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター

得度
1981年10月15日
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市開教専従主管
(1986~2005)
:西本願寺相模原布教所:
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

****************

FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times
Song&BowzuMan
singer-song writer 
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
   HONGWANJI-HA
NISHIHONGWANJI:KYOTO
https://www.hongwanji.or.jp
/english/activity/index.html

TSUKIJIHONGWANJI:TOKYO

💎SHINRAN-SHONIN💎
  (1173 – 1263)

◇****◇****◇****◇

{本願を信じ念仏申さば仏に成る}
      {歎異抄}第十二条

― 善人なほもつて往生をとぐ、
     いはんや悪人をや。―
       {歎異抄}第三条

    おかげさまは
  ありがとうの生みの親
  {信心正因 称名報恩}

   この逆謗の穢愚身
     唯今ここに
   帰命尽十方無碍光如来 
    
     合掌称佛
  NAMOWAMIDABUCHI
    
    北條不可思
    (釋難思)

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