FUKASHIHOJO.COM#2/北條不可思・愚螺牛雑記

北條 不可思 歌詩集 "愚螺牛" from CD Album 『on the white road』 『眞信讃歌1』 『Seriousness & Dignity/真剣と尊厳』

詩集 《愚螺牛》
 
reallove-and-harmony-2.jpg
FUKASHI HOJO Audition version for material

"愚螺牛"

from CD Album

『on the white road』[2000年]発表

『眞信讃歌1』 [2000年]発表
 
『Seriousness & Dignity/真剣と尊厳』[2001]発表 

北條 不可思 歌詩集 "愚螺牛"



◎遊牛の詩【1996年】 (C)FUKASHI HOJO

善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ 

oh my son このメッセージが聴こえるかい

自由だ平和だ人権だと騒ぐ前に我々は何をしてる

oh my son このメッセージが聴こえるかい

毎日何かの命を喰らって生きてるくせに 人間だけが一番エライと講釈たれる

ねずみに勝利を渡す牛になりたい ねずみに勝利を渡す牛になりたい 

悠々と歩む牛になりたい

oh my son このメッセージが聴こえるかい

明日ありと思う心の浅はかな愚かな己の精神よ



oh my son このメッセージが聴こえるかい

福祉だ教育だ環境だと騒ぐ前に我々は何をしてる

oh my son このメッセージが聴こえるかい

毎日何かの命を喰らって生きてるくせに 人間だけが一番エライと講釈たれる

ねずみに勝利を渡す牛になりたい ねずみに勝利を渡す牛になりたい 

悠々と歩む牛になりたい



◎和国に生まれて【1993年】(C) FUKASHI HOJO

和国という名の片州に生まれ 乳離るる頃にゃ弥陀佛と語る

人が泣いとる声おし殺し 銭と病に震えとる

泣けよ泣こうや わしらは自由 わしらの自由が 弥陀佛の願いじゃけん

縁があるんなら ちょいと一緒に歩こうや 

行くも行かんもあんたしだいよのう

船を出そうや陽の落つる処へ 乗るも乗らんも眞心ひとつよのう

和国という名の片州に生まれ 乳離るる頃にゃ弥陀佛と語る



◎EMPTY DREAM〜儚き夢〜【1998年】 (C) FUKASHI HOJO

冷たい雨が 心を叩く 彷徨う声は 儚く消える

さらば幻 さらば夢の後先

我が魂は 荒野を抜ける

喩えることの出来ぬものへ 身を委ねることを恐れない

夢は幻のように 儚き空言 心が麻痺る夢ならば 孤独を愛す



心に架かる 橋の袂で 「渡るべきか」と 思案に暮れる

進め旅人 悩める人よ 悪しき我が身を 忘れて歩め

喩えることの出来ぬものへ 身を委ねることを恐れない

夢は幻のように 儚き空言 心が麻痺る夢ならば 孤独を愛す



◎風は炎の如く【1995年】 (C) FUKASHI HOJO

夜が明けるまで 闇を見続け 熱き願いを 抱き続ける

青い三日月 水面を揺らす 涙の河にも 影を落とす

時は流れている 天地が揺れて そして 闇が破れた

風が炎の如く 舞いはじめて やがて命となって夕陽に融ける



言葉少なに 募る想いを 語り始めた 老いた詩人は

短い手紙 したため終わり 夢の余韻を 聞きながら眠る

時は流れている 天地が揺れて そして 闇が破れた

青草を食みながら詠い続けて やがて命となって夕陽に融ける



過去も未来もひと念いに 幻の人生に 終わりを告げる

求め続けた 愛が届き 願い続けた 夢は正夢

風が炎の如く 舞いはじめて やがて命となって夕陽に融ける

青草を食みながら詠い続けて やがて命となって夕陽に融ける




◎子守唄を聴きながら【1995年】(C) FUKASHI HOJO

子守唄を聴きながら 眠りにつく幼子よ

母の手を握り締め 微笑を浮かべ

小さな寝息は 安らかな夢を 見ているようだ

人生の意味を いつか知るだろう

限りのある命 大事にしておくれ 願いを込めて



子守唄を聴きながら 僕も眠りにつこう

懐かしく 思い出す 手放しの愛を

大空が雲を包んでるような 大きな愛を 



眠れない夜は いつかの子守唄

暖かな声が 心に響くよ

闇夜を超えて




◎果たしなき旅【1997年】(C) FUKASHI HOJO

雨に討たれ 風に吹かれて ただひたすら今を見つめて

悲しいこと 嬉しい事 すべてを超えた旅に出たい

飾りのない言葉で詠い 澱みのない瞳で語る

川の流れも海へとたどり ひとつの味にやがてはかわる

二度とは来ない 今日の日を わたくしらしく歩いてゆく

果たしなき旅は続く ありのままの姿で

二度とないこの人生を 歩いてゆく わたくしらしく



些細なことで怒りをおぼえ 自分の外に答えを求め

彷徨いながらあなたを探し 救いの船を待ち侘びてる

二度とは来ない 今日の日を わたくしらしく歩いてゆく

果たしなき旅は続く ありのままの姿で

二度とないこの人生を 歩いてゆく わたくしらしく




◎夢の旅人【1995年】 (C) FUKASHI HOJO

過ぎ去りし日々を 静かに見つめ

懐かしき風景の中に しばらく佇む

今よりは若く すべてを知ってた頃

究極の間違いは 自分を知らなかったこと

幻だったのか 夢見る旅人よ

地図に記した矢印は 今何処へ向かっている

果たしなく続く 時間の中心で

心は永遠の大地に生きている



水平線に沈みゆく 落日のときが

彷徨う難破船を 確かに導いている

分かれ道で悩み 立ち止まったとしても

焦らずに急がずに ゆるやかに時を待つ

幻だったのか 夢見る旅人よ

地図に記した矢印は 今何処へ向かっている

果てしなく続く 時間の中心で

心は永遠の大地に生きている




◎人間の価値【2000年】(C) FUKASHI HOJO

人に生まれて来た事を 心の底から喜べるのか

傷つけ傷つく愚かさを 気づくこともないままに死んでゆく

哀れというにもあまりある 哀れというにも いと愚かなり



お役に立つのが良い事か 役に立たぬものはつまらぬ事か

人を裁く人にも終わりが来る 気づくこともないままに死んでゆく

哀れというにもあまりある 哀れというにも いと愚かなり



名誉や地位や財産を 貪るように追いかける

掴んだその手も朽ちてゆく 気づくことないままに死んでゆく

哀れというにもあまりある 哀れというにも いと愚かなり



ありのままを自我で捻じ曲げる あるがままに生きられぬ

生かされて生きてるおかげさまを 気づくこともないままに死んでゆく

哀れというにもあまりある 哀れというにも いと愚かなり








◎心の絆【1992年】(C) FUKASHI HOJO

さよならと手を振りながら・・・後姿

消えるまで君の名前 心が いつまでも叫んでいた

本当の自分を探す旅を続け

明日が見えなくて 身構えた夜をいくつも数えた

何かが心の中で響いてる まわりを見渡しても何も見えない 何も聴こえない

夢か幻か それは 嘘か真実か

失うもの もう何一つなくなったとき

逸らさない瞳の奥の 澱みのない心は 永遠の絆になるさ



見えすぎた現実を 吹き飛ばす勇気

強がりと愚かさの狭間で へたり込んで失った

まごころと愛情と歴史を抱いて

心の絆を求めて この旅を続けよう

誰かが心の中を呼び起こす まわりを見渡しても何も見えない 何も聴こえない

夢か幻か それは 嘘か真実か

失うもの もう何一つなくなったとき

逸らさない瞳の奥の 澱みのない心は 永遠の絆になるさ




◎野の聖【1987年】 (C) FUKASHI HOJO

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし  (親鸞聖人御作 恩徳讃)



人の心を喰い物にして こだわりあがく群れの中で

直面しているのは鏡の前の己だと 唯ひたすら足元見つめ

歩き続けているのは 心及ばぬ流れの中に身を委ねてるから

人の痛みが沁みるから 「偽れない」と心が叫ぶから

どうする事も出来ない 名利に沈む己だと 唯ひたすら瞳を閉じて

歩き続けているのは 心及ばぬ流れの中に身を委ねてるから



すべてが夢さと片付けても 心が痛む時

それでも野を行く聖の後姿は 私にささやき続け

直面してるのは鏡の前の己だと 唯ひたすらに 足元見つめ

歩き続けているのは 心及ばぬ流れの中に身を委ねてるから




◎轍を見つめて【1994】 (C) FUKASHI HOJO

風が吹いて 時は流れ 時代は変わる

夢に生きた日々が去って ひとり佇む

涙を隠し 笑顔見せて 踊る道化師

旅の途中 力尽きて 涙を流す

歩いて来た道の轍を見つめ 帰る場所を思いながら旅を続ける

夢 幻の 儚いこの人生を あるがままに生きよう 今ありのままに



闇の中をかすかに揺れる 慈愛の灯

どんなときも輝いているのに 見える人は少ない

揺るぎ無い大地を求め 彷徨う心

空は深く 何も言わず 何も変わらない



進む道を迷うほどに 鮮やかになる

愚かしい自分からは逃げられないと

たった一度の与えられた人生だから

自分らしくめぐる日々を生きてゆくだけ




◎親父に贈る詩【1993年】(C) FUKASHI HOJO

弥陀の教えを伝えて数十年 馬鹿にされる父を見た

「お前は本物の馬鹿野郎」 言われたままに手を合わす 

父は親様に護られて死ぬまで伝えてゆくだろう

流れて箱根を越えた時 本当は寂しかったのか

住み慣れた街を離れても 離れたままに手を合わす

父は親様に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

ボロを着ては町中を 自転車乗ってチラシ持って

凍えるような顔をして 凍えた声で「ようこそ」と

父は親様に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

今では心も落ち着いて 都会の冷たさ身に感じ

命の限りに声にして 弥陀の本願を伝えます

父は親様に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

夢追い人と罵られ 馬鹿にされようとも 


夢追い人とののしられ 馬鹿にされようとも

君は独りじゃない 君は独りじゃない

大いなるお方(南無阿弥陀佛)とふたり連れ

*********

心に刻まれし物語
2005年未発表
「Vow Songs/眞信讃歌2」収録予定

詩/曲 北條 不可思

瞳を閉じれよ 何が見えて聞こえる

心を開けよ 何が見えて聞こえる

生きている時に 手にしたものは

いつの日にか別れを 告げるものなの

心に深く 刻まれし物語

屍の姿にも 永久(とわ)に生きる

心に深く 刻まれし物語

罪深き者にも 永久(とわ)に生きる


Copyright(C) HIDEKI ISHIHARA Tokyo JAPAN 
(西本願寺公開講座/東京・六本木ヒルズ 2004.11.3)

FUKASHIHOJO LYRICS/北條不可思 歌詩

 

 RECORDING/レコーディング

愚螺牛ArtCollection#1★ 『Poetry in drawing/・図画の詩』

FUKASHIHOJO.COM/北條不可思・愚螺牛雑記

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

野聖物語「我が心の親鸞聖人」開催決定

2009年5月16日(土曜日)午後5時開演

会場/東京・築地本願寺ブディストホール 入場無料 全席自由

『野聖物語』開催にあたって(「野聖物語」実行委員会)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
header750x100.jpg

  1. 2008/05/18(日) 14:10:06|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
Photo Copyright
© YASUAKI HATAYA 
Osaka JAPAN
*********************

北條不可思【愚羅牛】
ほうじょうふかし【ぐらぎゅう】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身
1961年10月14日生まれ


浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター


浄土真宗本願寺派・
東京首都圏
都市開教専従員(1986〜2005)
浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991〜)


日本仏教を代表する伝統宗派の ひとつである、浄土真宗本願寺派

本山・龍谷山本願寺(西本願寺)○京都市下京区堀川通花屋町下る
宗祖廟所・大谷本廟(西大谷)○京都市東山区五条(東山五条)
東京首都圏別院・本願寺築地別院(築地本願寺)東京都中央区築地


★2012年/平成24年に
宗祖親鸞聖人没後750年を迎える
浄土真宗本願寺派に僧籍を頂き、
親鸞聖人が表現し体現された
非僧非俗の風格を仰ぎ
 無位無官、在野の僧侶としての活動を基とし

1981年(昭和56年)得度を機に
"Song & BowzuMan=
  歌うお坊さん"
Message Performing Artist
として、


『縁』と『絆』

『命の尊厳』と『心の平安』を

キーワードに国内外で、
国境・人種・文化・信教・・・・
をも越えた
メッセージパフォーマンス
(コンサート、音楽講演)と
作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に
独自の音楽表現活動を展開。


布施によって生かされている者としての分限・分際の自覚から、
商業音楽・商業講演・
商業出版、,政治・社会運動等とは、一定の距離を保ち、深く関心を持ち敬意をはらいつつ、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、その活動を続けている。

★★★★★★★★★★★★★★★★

特に、重度障害を持つ、
息子慈音との
生活の中から始まった
「ENBAN・縁絆コンサート 
    エンドレスツアー」は、

*東京(1996年〜)築地本願寺


*大阪(1999年〜)トリイホール


*ニューヨーク(1999年〜)
ニューヨーク本願寺


*ニュージャージー(2000年)
アトランティックシティ
シェラトンホテル
コンベンションホール
浄土真宗本願寺派
北米教区仏教者大会に招聘


*長野(2001年)
白馬シャガール美術館


*広島公演(2002年8月〜)
原爆資料館メモリアルホ−ル


*京都公演
(2006年3月、2005年6月)
龍谷大学大宮学舎
本館講堂(重要文化財)


*Hometown/相模原
(1996年〜
グリーンホール相模大野)


*国立療養所長島愛生園
(2006年10月21日・特別公演)
など、国内外で開催され、
   現在も続けている。


《今後の予定》

【国内】
2010年9月11日
Hometown/相模原 
グリーンホール相模大野

【海外】
日程未定企画中
パリ フランス
      **********

『縁絆コンサート』は、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、スタートから一貫して入場無料・全席自由のスタイルで開催が継続されている。





      ★★★★★★★★★★★★★★★★


【私は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ソング・アンド・ボウズマン(歌うお坊さん)として独自の音楽活動をしている。俗に「二足のわらじ」というが、自分自身では使い分けている意識はなく、ベースは同じ表現者であると思っている。】
日本経済新聞署名原稿
2004年5月10日配信(文化欄)

      *********


【僧侶と音楽家。
『二足のわらじ』という人もいるが、私は呼吸と思っている。息を吸っているときは仏教の心を吸収し、息を吐くときは歌となって出ていく」
音楽で表現するもの。仏教で表現するもの。それはいずれも「和の精神」であり、「命の尊厳」だ。】
(文 田中夕介)
産経新聞
2004年6月10日配信(全国版)

        *********


『北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。これは、現代の和讃ではないか。
つまり、今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい』。
(メッセ−ジ フロム 
三國 連太郎 1994年)

      *********


『僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する、一人の男の歌を聴いた』。
(メッセ−ジ フロム 
新井 満 1994年)

      *********


推薦文
わが宗門より仏様のおこころを
歌にのせて一人一人のいのちへ語りかける青年僧侶が登場しました。
仏様の限りない呼び声に老若男女を問わず誰もが
いのちの尊厳に聞き入ることであります。
どうぞ一人でも多くの方へお伝え下さい。
浄土真宗本願寺派
総長 松村了昌 
1994年 平成6年4月6日

      


*********************

メッセージコンサート、音楽講演、CD作品等の、商業的派手な宣伝、告知、広告、などは行っておりませんので、ホームページ等でご確認頂き、ご来場、ご購入いただければ有難く存じます。

*********************
 
【オフィス・アミタハウス】
E−MAIL amitahouse@jcom.home.ne.jp
【北條不可思公式ホームページ】 http://fukashihojo.com./

リンク

このブログをリンクに追加する