北條不可思・愚螺牛雑記 2018~心に慈慧の響きと平安を~

"Song & BowzuMan since 1981”& ENBAN “縁絆” concert endlesstour since 1996

FUKASHIHOJO.COM/「ウサギとフクロウ 王舎の影にて」文/里寿SATOKOTOBUKI

「ウサギとフクロウ 王舎の影にて」文/里寿SATOKOTOBUKI 

ウサギとフクロウ 王舎の影にて

朗読/俳優・金田賢一



 夜明けは遠く、空の星々は終わらない夜会を楽しむようにキラキラと瞬き、大地では砂塵が自由気ままに渦を巻いていた。
そこは、荒涼の地。背の低い草木(そうもく)だけがしがみつきながら点在している。今はまだ、すべてが闇に隠されていた。

 ヴファ。
 風とは異なる音がウサギの耳を刺激した。
 ヴファ、ヴファ。
『危険な音』。崩れかけた意識の下でウサギは微かに反応した。
 だが、体は動かない。とてもよくない。よくないことが間近に迫っているのに、遥かな高みで歌い踊る星までもが、この小さな体の抵抗を許してくれない。力を振り絞って、瞼をあげてみた。
 その努力の報いが絶望だったとは。
 大きなフクロウが熊の如き瓦礫からウサギを見ている。フクロウは軽々と飛び立ち、翼が攪拌した空気は、夜露に濡れた綿毛を震わせた。
そして、凍りついた赤い目は、刹那に深紅に沈んだ。

 やがてウサギは目を覚ました。
『坊やに会える?』
 飛び跳ねたウサギを、何かがむんずと掴んだ。
 ヒッ! 声にならない叫び声を上げて振り返ると、そこには昨夜のフクロウがいた。

「まぁまぁ落ち着いて。捕って食わんから」
 それでもウサギの耳は、萎れて縮んだ。そんな様子を意にも介さず、フクロウは話し続ける。
「昨夜は野ネズミをたらふく食うた。いささか食いすぎたわい。ちィッと腹ごなしと思ってな。少々遠回りをしてたところでお前さんを見つけたんじゃ。
おっと、誤解せんでくれよ。別腹に入れるってつもりじゃぁないんだ。ま、気まぐれってところかの。
お前さんは野山に生きている。こんな眺めは初めてじゃろう。驚かしてすまんこったが、とにかく、まぁゆっくりして」
 そして器用に一本足で立つと片足を伸ばし、一枝(ひとえだ)パキッと折って寄越した。芽吹いて間もない若葉がギッシリついていた。
「食えんこともなかろう。遠慮されてもここにはこんなものしかないんでな。
いやなに、お前さんを我らが小さき城に連れ帰ったのは、わしの相棒のご意向でな」
 ウサギはルビーの目を初めてフクロウに向けた。
「まぁ、話は後にしよう。お前さんは少し食べて眠るといい。相棒もそう言ってる。日暮れまでわしも寝る」
 枝先をスーーッと移動して寝床へと消えたフクロウを見送り、ウサギは枝の葉をシャリッと齧った。
奇妙においしい。気持ちが落ち着いてきて、あの巨体のねぐらをソロリソロリと歩いてみた。天空に浮かぶ島から身を乗りだそうとした途端、臍から頭へ何かがすり抜けた。 
「驚いた。風が下から煽ってくるなんて」
 見知らぬ場所の落ち着かなさに、ウサギは一人つぶやきはじめた。
 ここはまるで枝で築いた砦のようね。すぐにでも誰かと話がしたい。『相棒』と呼ばれた誰かがいるはずなのに・・・・・・・。
なんの気配も感知できずにウサギは四方八方を覗いてみたが、遠くに山脈(やまなみ)がかすんでいるだけ。
「そうなんでしょ? ここなんでしょ?」
 我慢できずに呼びかけたが返事はない。仕方なく疲労の波に揺られながら家主の起床を待つことにした。

 ようやく起き出してきたフクロウに、ウサギは跳びかかり、「生き返らせて!」と詰め寄った。しかし、射抜くような赤い光をフクロウはしなやかにかわしてしまう。

「時間はある。ゆっくりと話を聞かせてもらおうぞ」
 ウサギは小さくうなづいた。
 三羽の赤子を産み、程なく二羽を失った。兄弟に守られるように大きく育った三番目の子が、突然、亡骸になってしまった。受け入れがたい死を背負って、「知りませんか、命を戻す術(すべ)を、知っていませんか」と、
尋ね歩いた。
 誰もが顔を曇らせ早々に立ち去ってしまう。そんななか、いつもなら近づくことさえ避けていたヤマイヌだけが話を聞いてくれた。
 そして、教えてくれたのだ。
「森を抜けると広い場所がある。とにかくひたすら広い場所だ。その地平の先に天を突くほどの一本の木が立っている。近づいても近づいてもたどり着けないほどだが、無事にたどり着ければ願いは叶うさ」
ヤマイヌはさらに言った。
「道中はなかなか厳しかろう。坊やはここへ置いていけばいいさ。戻り道には、励みにもなるだろう」
「ありがとう。お願いします」
そしてウサギは一目散。跳ねて飛び、飛んで転がり、また跳ねて、挙句にフクロウに拾われた。

 ホゥホホゥ。
 フクロウはうなづくような溜め息をもらした。
「ウサギは知恵者(ちえもの)と聞いておったもんじゃが……。母親とは、愚かなもんじゃのぅ」
 つぶやくと、問いの言葉を遮るように、「ない」とだけきっぱりと告げた。
「それならヤマイヌは……」
 ウサギの目から涙がこぼれた。
「辛いことじゃろうが、それは死んだ子を食べるための方便じゃ」
 うずくまって泣き始めたウサギを、フクロウは翼を広げてそっと包んだ。
 慰めてやりたい気持ちか、身を投じてしまうことを気にかけたのか。
「とはいえヤマイヌも当てが外れたんじゃ。
作り話で首尾よく子供を手に入れて、その後にはお前さんも食っちまう算段だったろうにな。残念ながら、お前さんの一念には遅れを取ったというわけだ。あいつらは夜目が弱いしな。
だがな、ヤマイヌの話もすべて出鱈目というわけでもないのぉ」
 ウサギは深く息を吸い、フクロウの言葉を聞き漏らすまいと身構えた。
「だだっ広い荒野(あれの)に巨木が一本。確かにここが、その場所じゃよな。
わしの言う相棒ってのはこの木なんじゃが、こいつは【命の木】だ」
 ウサギがフクロウを見上げたので、フクロウは翼を静かに畳んだ。
「【命の木】といっても命をとったり、与えたりするってもんじゃない。命の姿を見極めるだけじゃ」
 ウサギは見つめる。
「わしもだいぶ長生きじゃが、相棒はな、まったく途方もない時間を生きている。行き交う生き物の様子をいちいち眺めて、それからなにも語らずただ見送る。ご丁寧にも、ただ記憶するだけじゃ。大地に染みた声までもなんでもかんでも刻んできたわいな」
 フクロウは、ウサギの眼差しを受け止めながら話し続けた。
「或る時、わしもこの木に止まった。あの時はたいそうくたびれて、だいぶへこんでもいた。こんな木の上で誰かと話をするのもヘンなもんだが、とにかく相手のことなんぞ気にも留めなかったんじゃ。
明けの明星が光りだした頃に、夢か現かと慌てての。じゃがそん時はもう、声は消えてしもうとった。そんなもんで、もう一晩ここで夜明かしをしてやろうと決め込んだのよぉ。
いつの間にか月がポッカリと上がってのぅ。『夜じゃねぇか』って独りゴチたら、『そのようね』なんて澄ました声がした。
珍妙なことよ。とはいえ、おもしろかろ? 相棒も笑っていた。根っこが引き抜けるほど驚いた、なんて抜かしながらな。
結局ここが、あてのない風来坊の旅の終わりになったわけだ。この枝は、相棒おすすめの一等地なんじゃよ。それからは、徒然に、いにしえからの話を聞かせてくれた」
フクロウは、数回大きく足を踏みかえると、首をクルッ、クルッと回した。
「雨や風にもいろんな景色があるもんだろう。命もそうなんだと。ひとつひとつの命の、色具合っていうのかのぅ、そんなものが相棒には『見える』んだそうな。それでいて干渉もせず、助言もなしだ。木だから仕方なかろう。だからこそ、生まれ消えしていく数多(あまた)の命を尻目に長いことくたばりもせんのじゃろう」
 枝がザザッと揺れたが、それはきっと風のせいだ。
「ただ、わしと付き合うようになって時々無理を言うてなぁ。お前さんのこともそうさ。身を潜める茂みもないしょぼくれた土地に、ウサギが一直線に転がり込んできたんだ。『ウサギ』という名を忘れていたぐらい久しぶりにウサギが現れて見過ごせなかったんじゃ。けったいなヤマイヌが向かってきている話も聞こえてきたしな。
おまけに、お前さんの命は青白く燃えていたそうだ」

「今は?」
 消えそうな声が、ウサギの口から洩れた。
「なにからなにまで悔やまれます。絶対に関わってはいけない相手に、みすみす子供を委ねてしまいました。まるで自分が子供を殺してしまったみたい」
 喘ぐようにむせび泣く。
「いやいやさっきのは失言じゃて。愚かなのは母親だからではない。望む願いも度を越せば誰も彼もが愚かになる。それが道理じゃ。
何はともあれ、自分ばかりを責めなさんな。だがな、ヤマイヌらを責めても詮のないことよ。
食わねば生きてゆけないんじゃ。ヤマイヌもわしも、お前さんもだ。相棒たちの仲間は別だ。我(わが)の命を持続するために他の命を要りようとしない。だからまぁ、気の遠くなる時間を生き抜いとるんじゃろう。
わかっとる!」
唐突にフクロウは嘴をカツカツ鳴らした。
ウサギの長い耳がパサッと前後に振れた。

「いやなに、相棒はな、うんと若くてひょろひょろだった頃の話をお前さんに聞かせてやれとうるさく言うんだ。お前さんは、ささやかではあるが空に在する一国一城が招いたお客人じゃ。このままじゃわしに食われたいと言い出すぞって。そんな訳にはいかんと、しつこいんじゃよ」
フクロウの告白に、ウサギの強張った気持ちが少し緩んだ。
『森の賢者と敬い恐れるフクロウが大きな木とお友達だちなんて可笑しなこと。坊やに話してもきっと信じないわ。笑い転げて体中泥まみれね。そんなことになったら毛づくろいで大騒動だわ』
 子供に思いが廻(めぐ)ると、また涙がこぼれそうになる。クッと歯を食いしばると、話を聞く心積もりが出来たとフクロウは受け取った。「幾度も聞いた長い話だ。相棒の言葉で話そう」。前置きをすると語り始めた。 






 どんな命にも始まりがあるでしょう。わたしたちは、その辺りが動物とは習性が違います。
わたしのように枯れもせず、切り倒されもせず、未だに生きているのも、動物とは事情が異なるところです。
木というものは、どんな場合でも、命がそのまま形になっているんですよ。雨、嵐に枝が引きちぎれようとも、太陽にジリジリいぶされようとも、打つ手はありません。来るものを拒まないし、去るものを追いません。葉を食い尽くされ、幹をえぐられ、根を掻き乱されようとも逃げられません。ただ、時の流れを眺めつくすばかりです。
 くどい話だったかしら。つまり、意思はなくとも、理由があってここにいるということを知って欲しかったのです。

 かつてこの地は、マガタの国でした。わたしの天辺(てっぺん)から見渡せる山の全て、そこに湧き出るせせらぎが至る海までをも治めていました。そして、まさにここに王宮・王舎城が聳えていました。
わたしは、国王ビンバサーラと王妃イダイケ夫人の婚礼を記念して、花々が絶えない美しい庭園に植えられました。もちろん、最上等の土地ですよ。わたしにとってはね。
あの頃の気がかりといえば、シカとかサルとかが新芽を抓(つま)みに来ることぐらい。
機知に富み、威厳に満ちたビンバサーラ、国の母として慕われるイダイケ夫人。素晴らしくのどかな時代でしたよ。わたしは、とても大切に手をかけてもらっていましたし。

ある日、いつもよりとりわけたくさんの花が刈り取られ城内へ運ばれていきました。あれほどの花を飾ったのですから、よほど大切なお客人を迎える仕度でしょう。
ほどなく、わたしは知りました。
「尊き人よ、ついにこの世へお出ましになられましたか……。世尊よ」
 ビンバサーラは、そう言って、その人の前に跪きました。
釈迦族の王子に生まれたその方は、生病老死の苦悩から救われる道を求めて国を捨てました。長い長い修行の旅の果てに、ついに身と心を煩わす魔を下し、この上ない悟りを開かれ目覚めたる人《仏陀(ぶつだ)》となられたのです。覚者となった後に戻ってくると誓われた言葉通り、ビンバサーラを訪ねてこられました。釈迦牟尼佛を師と仰ぐ千二百人の修行僧と3万2千人の諸菩薩とがつき従う壮麗な入城でありました。
わたしはその方を、お釈迦さまと呼ぶことにしました。皆それぞれに色々な呼び方をしていましたが、そのなかで、一番親しげな呼び方を選んだのです。なぜって、わたしが初めて命の実相を見た方でしたから。
程なくビンバサーラはお釈迦さまのために、鷲の峰ギシャクッセンに精舎を建てました。国の民は誰もが尊いお説教を聞けることを喜んでいました。彼方遠くの諸国からもお釈迦さまを詣でる人は途切れることがなく、賑やかな往来で国は益々栄えました。

けれども、身の内に秘められた感情は消し去り難く、気高きイダイケ夫人の憂いもまた、消えることはありませんでした。平静を装いながら、長いこと世継ぎ誕生の兆しを待っていました。広い国土のどこかで産声の上がらぬ日はありません。その現実にイダイケ夫人は傷ついていました。あるとき、ビンバサーラは座興のつもりか占い師を招きました。

「北の赤き山には仙人が住む。仙人が死せるとき、その命たちまちに王子に姿を変えて生まれ出(い)でるなり。マガタに未来永劫の隆盛を築く礎となろう」
「それはいつか!」
ビンバサーラがにじり寄りました。国王もまた、世継ぎを待ち望んでいたのです。答えは明快、三年後。
 
 権力を握るとはおぞましいことです。ビンバサーラは仙人の命を召し上げようと早速使者を出しました。仙人の逆鱗に触れて使者がすごすご引き上げてくると、次なる一手を命じました。――暗殺です。
 赤き山の仙人は暗殺者の手にかかる前に断崖絶壁から身を投じました。最後の言葉を呪詛の如く高らかに歌い上げて……。
「恨むべし。憎むべし。この身朽ちても、必ずや志を成就してマガタの王に死をもたらすべきなり」

やがてイダイケ夫人は身篭りました。ビンバサーラは有頂天で再び占い師を呼びました。占いの外れたことを冷やかしたかったのでしょう。
「そなたの占いより二年も早く妃は我が子を宿したぞ。もしや王子が姫になったのではなかろうな」
占い師は義に反する策略を予見しました。でも、黙して語らず。
「確かに王子を宿しておられます。
 申し上げにくいことでございますが、父王への憎悪が。命を狙うまでの憎しみに満ちておられます」
 不吉な言葉の代償として国を追われた占い師。その後の消息はようとして知れません。

 おのずとビンバサーラの酒は荒れ、安らかな眠りは喪失されました。ひどく重苦しい暗雲が垂れ込め、ビンバサーラを飲み込みました。それはまさしく狂った殺意。
哀れなこと。愚かなこと。『国の平安』を隠れ蓑に、王子の命運は裁定されました。
 母となった喜びも束の間、イダイケ夫人には抱くことも許されませんでした。密かに幾本も竹槍を突き立てた穴の中へ王子は放り投げられてしまいました。

 しかし不思議にも王子は生き残り、母の御許へ戻されました。左手の小指に微かな傷を印しただけで。
 今更ながら、ようもやっとビンバサーラは父親になれました。息子にアジャセと名を与え、出生の秘密は封印されました。
 それからは、アジャセは陽だまりのなかで成長しました。わたしによじ登っては、葉陰に隠れて本を読んだり、利発な少年でした。新王誕生を皆が待ち侘びる素敵な青年になりました。
 ビンバサーラは執務に追われる日々のなかでも、お釈迦さまやお弟子たちを迎えて、真実のいわれを聞いていました。あやまちを二度と繰り返さないために、我執を知らなければならなかったからです。国王と王妃が即位式の仕度にかかろうとした頃、間違いなくマガタの国は、平穏でした。

 不意をつくようにおかしげな気配が立ち込めてきたのは、お釈迦さまの従兄弟ダイバダッタが城へ入り込んできたからです。妖しい術を使う旅僧にアジャセはすっかり魅入られ、邪悪な技に心を奪われてしまいました。
 アジャセから生来(せいらい)の輝きが褪せていくのに、若さ故の気の迷い、ほんの一時のことと高を括って、ダイバダッタがアジャセを利用しようとしている企てを見過ごしていました。あの野心家は、血縁をいいことにお釈迦さまの追い落としを目論んでいたのです。その野望を見抜かれると、いかなる手をもってしても自分の思い通りにことを進めようと知恵を絞っておりました。
 眼下の敵は国王でした。国王の支えがなくなれば釈迦といえども涼しい顔で鎮座ましますわけにもいくまいと考えたのです。容易く操れるアジャセを王に祭り上げれば思い通りに事を運べるぞ・・・・・・、と。
とうとうサイは投げられました。出生の秘密がアジャセに知れました。笑顔溢れた思い出の何もかもが真実を隠蔽した証になってしまいました。悔悟の言葉は届きません。
 むしり取った王冠を掲げて即位の宣言を轟かせると、すぐさま父王を水さえない牢へと落としました。もはや鵺も鳴かない王宮の庭で、我が父の崩御の知らせを待ち続けている新王。なんと禍々しい事でしょう。空気にまで狂気が染みて、本当にたまらない気分でした。
 唯(ただ)一(ひと)つの救いは、ビンバサーラが黴臭い牢獄のなかで正気を保っていたことです。因果の道理をわきまえて、誰も恨んではおりませんでした。お釈迦さまのお諭しを深く聴聞されていたのでしょう。
 それでもわたしは、邪な愛情ではなかったと伝えたかった。大切に慈しんだ日々に偽りはなかったと知って欲しかった。叶わぬ事ではありましたけれどもね。

 そんななか、イダイケ夫人ばかりが孤軍奮闘していました。驚くほど
大胆になって、美徳と定めた慎み深さも脱ぎ捨てました。蜜で練った小
麦粉を裸体に塗りつけ、妃の身分を物語る玉(ぎょく)の飾りに果汁や薬酒を詰
めて、息子を出し抜き獄中へと夜な夜な忍んでいきました。この苦しい
時間を何とか凌げば、きっと何もかも元通りに収まると信じ、日毎にや
つれる夫を励ますのでした。
 
ほどなく謀略はアジャセに知れ、息子は母の喉元に刃を突き立てました。
「悪なる王を生きながらえさせる女こそ賊人だ! 屍となし深き罪を刻印してやる!」
 
その時、古くからの忠臣として仕えてきたガッコウが、静かにアジャセを諌めました。
「私どもが聞くところでは、世界の始まりより此の方、多くの悪王が生まれました。国威を貪るが故に父や兄、重臣を手にかけた類、枚挙の暇がございません。
 しかしながら、未だかつて道を踏み外し、母君を害したという話は聞いたことがございません。王位の継承など決して許されない非道の道といえましょう。
 王よ、今あなた様がこの大罪を犯せば、王に為り得る御身(おんみ)を自ら汚(けが)してしまわれるのですぞ。まったく聞くに忍びないことでございます」
 ガッコウの言葉には、さすがにアジャセも怯みました。その隙に、控えていた従者が、静かに剣を引き上げ、投げ捨てられた鞘に納めました。
 アジャセは心細くなったのか、幼い頃より頼りにしてきた医者のギバに尋ねました。
「そなたが変わってやってくれるか?」
 ギバはかぶりを振りました。
「くれぐれも、そのようなことをお考え遊ばすな」
 熱にむずがる子供を宥めるような顔をして、ギバはその場から去りました。それでもアジャセの怒りは鎮まらず、玉座の前で仁王立ち。母を七重(ななえ)の牢に幽閉させてしまいました。

 底なしの絶望に沈んだイダイケ夫人は、鷲の峰ギシャクッセンにおわすお釈迦さまに向かって呼びかけました。
「どうして我が身より産まれし子にこのような仕打ちを受けることになったのでしょうか。王子をそそのかすダイバダッタは、何ゆえにあなたさまとの眷属にあるのでしょうか。
 まるで私は、温かいという理由で、火にかけられた大鍋につかっていたようです。信じたものは泡沫の幻でありました。もはやこの濁りきった世に望みようはありません。
どうか、ここにこられませ。我が君になされたように、私にも使者を遣わし、道をお示しください。どうか悪がまぎれることの出来ない清らかな世界に私を生まれさせたまえ」
 すると、何千、何万もの集いし弟子たちに法華(ほうけ)を説かれていたお釈迦さまは、説法をやめて、たちまちのうちにイダイケ夫人の眼前へお出ましになられました。この一大事に伴ったのは、モクレン尊者とアナン尊者のただふたり。本当に大切なお話を説かれるお心でやってこられたのです。
 お釈迦さまが眉間から光を放たれると、清浄なる世界、迷いなき世界が次々と照らし出されました。イダイケ夫人は目を瞠りました。瑠璃色に輝くところ、蓮の華咲き誇るところ、一様に誉れ高く、今生(こんじょう)の悪世と断ち切られた世界でした。
「十方の浄土を見たてまつった今、イダイケよ、何処(いずこ)の国へか生まれたいと願うものか」
 お釈迦さまに問われて、イダイケ夫人は即座に答えました。
「彼(か)の西の国へ」
 するとお釈迦さまのお顔にはたおやかな微笑(ほほえみ)が浮かび、凍えた大地をゆっくり溶かしていくように光が輝き始めました。太陽のような熱を発し、月のようにまろやかな光です。七重の牢に満ちた光明は遮られることなく外へと溢れていきました。イダイケ夫人に仕える五百人もの侍女たちも、王宮の庭に棲む動物たちも、光の中へと集ってきました。歩くことが出来ないわたしも、その光に包まれました。孤独に置かれたビンバサーラにも、あの光は届いていたことでしょう。
「災いに身を焦がす私は、いかにして彼の西の国を想い、生まれる種となせましょうか」
「大切なことは、明らかに見つめることなり。内なる思いを歪めず、苦悩の根源を見つめることなり。女人ゆえの悲しみ、母ゆえの苦しみ、生きるゆえの絶望を滅することを望むなかれ。
生きよ、イダイケ。唯、生き抜けよ。必ずや彼の西の国へ生ましめることぞ」
立ち去り際、お釈迦さまは仰せになられました。
「ただ決定(けつじょう)して この道を尋ねて行け 必ず死の難なけん もし止(とど)まらば 即(すなわ)ち死せん」
 イダイケ夫人は、きっと、新しい命を宿したのでしょう。上手くは言えないけれど、無限の苦悩から解き放たれたような澄み切った瞳をしていました。
わたしは木だけれども、そんなふうに見受けました。
同じ刻(とき)、ビンバサーラは臨終を迎えました。そこに不足不満の名残はなにもなく、不可思議な光に摂め取られて往(ゆ)きました。本懐であったことでしょう。
 

「さてさて、話はこれまでじゃ」
 羽を広げて伸びをしているフクロウにウサギは尋ねた。
「それからイダイケさまはどうなったのでしょう」
「王を弔い、王子と和解し、やがて命寿が尽きた。親子だし、人間だからな。
とはいえそれも、一瞬のことよ。時の流れは吸うた息の吐くを待たずじゃ。この荒み果てた景色を覚えておいとくれ。ありのままに、あるがままじゃ」
 ウサギはコクリと頷いた。

「時もだいぶ過ぎたのぉ。空が白んできておるわい。せっかくのお客人だが、いつまでも引き止めるわけにも行かぬ。長雨でもくれば、敵(かたき)同士じゃ」
「本当に」
ウサギも応じた。
「連れてきたからには、何処(どこ)なりとも望むところへ送ろうぞ」
 フクロウは、もう飛び立つ準備を始めていた。
「西へ」
 答えを合図に、二羽の体は気流に乗った。フクロウは、【命の木】の頭上を優雅にひと回りすると、まだ漆黒に塗りつぶされたままの彼方を目指して舵を切った。
『どんな闇にだって、いつかきっと光が届くはず。薄墨色の雲でさえ茜色に輝くように。恋しさに滲む甍の波だって金色(こんじき)に揺れることでしょう。
だから、わたしは生きていく。命の限りに生き抜いて往(ゆ)きましょう』
フクロウの爪の中で真ん丸く丸まったウサギは、激しく風に打たれても決して吹き飛ばされないものがあると信じられた。
「おかあさん」
 坊やの声が耳に響いたので、「大丈夫よ」と、ウサギは答えた。


                                 《了》


出典 『観無量寿経』
文   里 寿 SATOKOTOBUKI



眞信山蓮向寺 秋・彼岸法要にて初披露/(平成19年)2007年9月24日

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 の影(C)北條不可思

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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  1. 2008/05/18(日) 12:29:09|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
“Song & BowzuMan”
 since 1981


ENBAN&YAHIJIRI 
concert endlesstour
 since 1996
 

CANO BAND
 since 2006


*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身
1961年10月14日生まれ


浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター
1981年
浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/
得度
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市
開教専従員(1986~2005)
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

****************

FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)

*

【Born】
October 14, 1961
(1961-10-14)
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times

Message Performing Artist
Song&BowzuMan
singer-song writer
(A priest and a musician)  
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
HONGWANJI-HA
SHINRAN-SHONIN's750th MEMORIAL(2012)

★ Profile:プロフィール 詳細★

http://fukashi.blog50.fc2.com/
blog-entry-34.html

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