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北條不可思・愚螺牛雑記 2018~心に慈慧の響きと平安を~

"Song & BowzuMan since 1981”& ENBAN “縁絆” concert endlesstour since 1996

名も無き念仏の僧侶の物語:北條了介/ほうじょう りょうかい


名も無き念仏の僧侶の物語
北條了介
ほうじょう りょうかい

親鸞聖人-野聖物語-『Shinran-Shonin of my mind』
《1987年作》: ©Rev.Fukashi Hojo ;北條不可思 


              Drawing By  Fukashi cassie Hojo 1986

fukashi-20050901-m2.jpg

撮影 ジョアオ ゴメス氏(フランス)
photographyCopyright ©JOAO GOMES/PARIS FRANCE


《名も無き念仏の僧侶の物語 》

北條不可思に深い影響を与えた実父であり、善き師でもあった北條了介が、2005年8月12日、
阿弥陀如来の大慈大悲に抱かれて浄土往生の素懐を遂げました。
 
名も無き念仏の僧侶ではありますが、 追悼の意味を込めて、
略歴と2遍の詩曲を掲載させていただきます。 

浄土和讃

冠頭讃

 親鸞聖人御作

弥陀の名号となへつつ

 信心まことにうるひとは

 憶念の心つねにして

 仏恩報ずるおもひあり

 

誓願不思議をうたがひて

 御名を称する往生は

 宮殿のうちに五百歳

 むなしくすぐとぞときたまふ


:北條了介がよく讃じていた 親鸞聖人御作の御和讃:




fukashi-20050901-m3titi2.jpg 

取材撮影・末本弘然師 (正福寺;大阪池田市)

/本願寺新報特集記事(1979年/昭和54年)

末本弘然師 著作作品一覧: 紀伊國屋書店

北條了介は、法語と西本願寺布教所のお知らせ「伝道チラシ」をガリ版で刷り。
相模原を配り続けました。15年は続けたと記憶しております。
 
昭和54年「春彼岸」の頃、当時愚生は18歳、一度だけ手伝いました。
3~4時間配りましたが・・・完全に打ちのめされました。
以来、愚生は「伝道チラシ配り」はしておりません。
 その時の父の言葉は「無理せんでええ。自分のやり方で生きんさい。わしは
コレしかできんが、これが有り難いんじゃ。南無阿弥陀佛」でした。

「どんなに提灯が立派でも、中に灯りがなければ道先案内はできない」
と常々話しておりました。

問題は体裁ではなく・・・本願他力の灯りが灯っておるかどうかです。
実父でありますが、善き師であります。 
 
 
伝道だ、開教だと申しますが、形ばかりのことはできるかもしれません。
 ・・・できません。身に沁みてまさに知りました。
 
持戒修行僧は本当に厳しい世界だとは思いますし、敬意を表すべきことです。
しかし、それにもまして、本願念仏の法義に遇うことは、まさに有ること難しであります。 
 
父の通夜布教をお願いしました、当時築地本願寺都市開教の担当をされていた、    
白川淳敬師 (正法寺住職)
http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/index.htmlは、

ご法話の中で「都市開教の歴史であり、原点です」とお話しいただき、

『親父に贈る詩』歌詩を、涙ながらに朗読してくださいました。

深く感謝致すとともに、日々思い起こし、歩みを進めております。

namo-amidabutsu (北條不可思:法名 釋難思)

 

 

  

日のよしあし 方角などに執われるのは 迷信であります

今年も また 

お盆が やって参りました

静かに 亡き人を 偲び

御仏事 の一時に

両手を  合わせ

お念仏の ぬくもりに しみじみと

すみません ありがとうの心を

  運びたいことであります

人間 ひとしく みな

  ホントは 孤独なのでは

ないでしょうか

どうぞ お気軽に お電話下さい

どなた様の お宅にもご縁あれば

お参り申させて 頂きます

こちらは

浄土真宗 西本願寺布教所です


東京首都圏都市開教開

初めてのお盆(1980年)の伝道チラシ



恩徳讃-親父に贈る詩:北條了介 筆(ガリ版:写し)1980年頃

『響流和讃:恩徳讃歌』+親父に贈る詩;本願念仏の詩響

愚生は、2017年晩秋までこの存在を知らなかった。

NAMO-AMIDA-BUTSU

-北條不可思-



釋了介 筆;2003年


北條了介:ほうじょう りょうかい の歩いてきた道

院号法名  梵龕院釋了介
【ぼんがんいんしゃくりょうかい】

《昭和7年3月12日》
広島県双三郡君田(現在・広島県三次市君田町)

浄土真宗本願寺派教念寺3男として誕生。
{2017年廃寺}

9歳の年に、4人兄弟の末弟が脳膜炎で死去し、
これを機縁にお聖教を手にする。
寝ても醒めても授業中の教室でも 開き続けたお聖教。
僧侶としての生涯を願いと定める。

高校卒業後、東洋大学文学部哲学科に学び弁論部で活躍
アルバイトで仏教タイムス紙の記者として
大部屋時代の俳優・笠 智衆氏を取材するなど・・・
修学時代を送っていたが、了介の父が病を得て、諸事情により
東洋大学を中途退学
その後、開院間もない東京仏教学院(2期卒業)に学び、
本願寺派住職継職資格である教師取得
帰郷後、23歳で教念寺第17代住職を継職。
同時に本願寺派布教使として全国各地に出講の法縁を頂く。
(節談説教のようなスタイルではなく独特の詩節を織り交ぜて説教をする、
せりべんの継承者のひとりであった)

《昭和33年》
信定寺;
熊本県玉名郡長洲長女・暢子と、
島根の山奥のバスの中で出会い結婚。

3年後、故あって夫婦ふたりだけの出奔。
引き止める両親はすでにこの世になく・・・出寺。

《昭和36年》
広島県呉市天応宮町・単立寺院『連向寺』入寺の縁となす。   

(同年長男不可思誕生)
出生地は広島県三次市・浄土真宗本願寺派 浄念寺「了介の叔母の寺院」。



PRESS/MAGAZINE scrap
( 新聞・雑誌紹介記事) 
fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html


Blowin in the Wind(Bob Dylan)
北條不可思 東京・築地本願寺ブディストホール


遊牛の詩/北條不可思 1996年作(C)FUKASHI HOJO
《「歎異抄」第三条を機縁に》 
 
http://www.youtube.com/watch?v=8tsjjWIXac4 

 北條不可思活動略歴http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html


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(北條暢子/蓮向寺・前坊守) 撮影:  Hideki Ishihara 石原秀樹 

  浄土真宗本願寺派・中央仏教学院(京都)昭和29年度卒業 

 2010年平成22年9月17日
眞信山蓮向寺 前坊守 北條暢子(紫響院釋如月) 往生
眞信山蓮向寺 前坊守 北條暢子 通夜葬儀 御礼
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-171.html



『SAMDAM-NO-UTA;讃佛偈意訳/仏説無量寿経』

北條不可思【Song&BowzuMan;歌うお坊さん】35年を機縁に2016年収録。

~『心の轍』(2008年作★母・暢子に捧ぐ)


☆BASIC TAKE:未編集☆歌詩掲載

 https://www.youtube.com/watch?v=j2eZpQ83f-I

♢official take♢

https://youtu.be/6JXWDxDdeZs?t=783

母が大病を得て歩行もままならなくなったときに、

「この歌を歌いながら五歩歩いた」と語ってくれた。

他人:hitoが聞いたらおかしかろ・・・(夕日の詩・開教の歌)

《この詩曲が生まれたフック》

愚生の帰依する浄土真宗では『歎異鈔』第 13条にある言の葉で

「本願ぼこり」の異安心《異端の信心:信仰》として

「誇り」の言葉の取り扱いがデリケートです。

「歎異抄」の取り扱いの難しさと厳しさを現代の大衆音楽のスタイルで詩った。

あえて・・・「眞実の誇り」とは何か?が底流のテーマ。

NAMO-AMIDABUTSU


*******

『朧月夜と流れ雲#2』
by FukashiHojo:北條不可思《BASIC take; Incomplete version》(2010年作,2017年再録音)
 
『朧月夜と流れ雲』2010年作/©北條不可思;釋難思"Japan" 


朧月夜と流れ雲:official take 2010  
作詩・作曲・歌 北條不可思/釋難思
演奏・北條不可思とカノ・バンド
2009年作
(母 北條暢子の見舞いの帰りに着想)
2010年平成22年9月17日 
眞信山蓮向寺 前坊守 北條暢子(紫響院釋如月) 往生
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-228.html
 from Fantasia Records de JION MusicFactory
:Office AmitaHouse
;Produced by GURAGYU(愚螺牛)



《昭和38年》
寺号を連を蓮とし『蓮向寺』と改名。

生後ひと月から15歳の春まで過ごした蓮向寺(広島県呉市天応) 
著しい老朽化が進み、2007年4月本堂庫裡 撤去
我が身はもとより、形あるものは崩れ消え去るが、
心に灯された本願他力の燈は失せることはない―愚螺牛― 

 


 《昭和41年》
次男大慈誕生。

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北條大慈(ほうじょう だいじ)

蓮向寺・副住職、教会主管兼任/

東京青年僧侶協議会・副理事長(2007~2008)  
東京仏教学院35期卒業


『野球人~弟 北條大慈に、そして全ての野球人に捧ぐ~』(1980年作)
《BASIC take ; Incomplete version》©北條不可思"Japan"

《昭和43年10月14日》

 『蓮向寺』 本願寺派へ帰属、初代住職就任。

 ・・・やがて娑婆の嵐が吹き荒れる・・・

《昭和49年》

全門徒、有縁関係者から絶縁の宣告が届く(当時の門信徒数150家余)

"親鸞気触れの人格欠陥者"と烙印を押され、了介本人はもとより、

家族は村八分どころではなく、町の人々からも無視され

残りの二分すら殺がれ、孤立無援の日々を送ることになる。

「安芸門徒」として、世に知られる浄土真宗の盛んな地域で起きた出来事は、

宗祖親鸞聖人が歩かれた「御同行(おんどうぎょう)御同朋(おんどうぼう)」の

道の真意と深意を、言葉にならぬ緊迫する日暮の中で、聴聞させていただく

ありがたく尊いご法縁となっている。



BluesForBuddha-大悲の詩-《西本願寺・宗学院別科三部作》 



北條不可思、この年13歳、音楽と出遭い、 ギターに弦を張り、詩曲を書き始める。
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html

原点 。 

facebook.com/fukashi.hojo



-西本願寺第二十四代即如宗主の特別視察の際に撮影-


《昭和53年10月》 
即如門主伝灯奉告法要以降、第1期
東京首都圏都市開教専従員として
相模原市着任。
西本願寺相模原布教所・開設。
本願寺派伝道布教活動の波頭に立つ。
「ご門主さまが、ご発意なされた
伝道布教の道によって
私は生かされた」と終生語る。
 

開教時代に結んだご法縁の述べ軒数は、2000軒を越える。

( 東京首都圏都市開教対策本部  東京首都圏都市開教の歴史) 

長男次男の結婚と布教所の蓮向寺教会申請承認
(浄土真宗本願寺派東京教区・神奈川組編入)を見届け、
孫の慈音に「障害を超えて念佛に生きよ」と伝え、73年の生涯を閉じる。
如来とともに家族とともに、一息是一生と念佛の道を歩き抜く。

「シンドイ・・・ご縁です 
他力回向 南無阿弥陀佛(ナマンダブ)」
平成17年8月5日入院先、
国立相模原病院にて最後の言葉。

2005年8月12日往生

【他力回向→http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%88%E3%81%93%E3%81%86 

★当山縁起★

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-33.html



http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%88%E3%81%93%E3%81%86','','','res','6','')" href="http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%88%E3%81%93%E3%81%86">
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84','','','res','1','')" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84">無題.jpg

布教使時代のお聖教(30代から)
 

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晩年に開いていたお聖教(70代)

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孫の慈音と法要前の仏具のおみがき

―爺さんは手で、孫は手の如き足で―
________________________________________

死してなほ
慈悲ものがたる
念仏の父

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親父に贈る詩

―名も無き念佛僧の物語―


1980年「眞信讃歌」収録

2005年8月12日をもって本作ライブ演奏を封印

*ただし、2006年10月21日に開催された

縁絆コンサート・長島愛生園特別公演で

1度だけ封印を解いた。

『長島愛生園からの手紙』
plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200612040000/

  

詩/曲 北條 不可思

弥陀の教えを伝えて数十年
 馬鹿にされる父を見た

「お前は本物の馬鹿野郎」 
言われたままに手を合わす

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 
死ぬまで伝えてゆくだろう

流れて箱根を越えた時 
本当は寂びしかったのか

住み慣れた街を離れても
 離れたままに手を合わす

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 
死ぬまで伝えてゆくだろう

ボロを着ては街なかを 
自転車乗ってチラシ持って

凍えるような顔をして 
凍えた声で「ようこそ」と

父は親様(阿弥陀如来)に護られて
 死ぬまで伝えてゆくだろう

今では心も落ち着いて
 都会の冷たさ身に感じ

命の限りに声にして 
弥陀の本願(ねがい)を伝えます

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 
死ぬまで伝えてゆくだろう

夢追い人とののしられ 馬鹿にされようとも

君は独りじゃない 君は独りじゃない

大いなるお方(南無阿弥陀佛)とふたり連れ

Copyright ©  Special JION Music 

 

 

『NEGAI/開教の詩』1978 Drawing By Fukashi Hojo



心に刻まれし物語
2005年未発表
「Vow Songs/眞信讃歌2」収録

詩/曲 北條 不可思

瞳を閉じれよ 何が見えて聞こえる

心を開けよ 何が見えて聞こえる

生きている時に 手にしたものは

いつの日にか別れを 告げるものなの

心に深く 刻まれし物語

屍の姿にも 永久(とわ)に生きる

心に深く 刻まれし物語

罪深き者にも 永久(とわ)に生きる

南無阿弥陀佛  

Copyright ©  Special JION Music

【愚生には、敬慕する先師、法兄は国の内外に幾人かおられるが、
《型破りの迫力と異様なまでの静けさを感じさせる僧侶》として心に刻まれているのは、我が父である。
それはあたかも、汚泥の中にありながら、
けして錆びることのない刃のような緊張感と不思議な暖かさを醸していた。

60歳で住職を退任して以降人生の一息を終えるまで、その刃を抜く素振りすら見せることはなく、孫の慈音に自室の四畳庵や本堂で仏典やウルトラマンの絵本を子守歌を歌うように読み聞かせて、73年の念仏の日暮を見事に終た、血を分けた父と子のご縁でありながら、常に敬意をもって息子である愚生と関わってくれたことは、感謝を超えて驚愕している。】 北條不可思

《父が何をしたのか?それを確かめるために法衣を着ました。父は、真実に背かなかった。我が父ではありますが、その生き様を誇りたいと思います。》 北條大慈―通夜にて―

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孫の慈音と本堂にて・・・もはや生かされてよし、死してよし。如来におまかせの2004年夏

孫の慈音

病床にあった祖父に、母のサポートで

書きおくった「六字名号」

現在は、慈音の大きな親友:

俳優 ルイ・チャンチェン/Louis Ozawa Changchienが所有。

 

 

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2007年3月の蓮向寺本堂/広島県呉市天応宮町

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2007年4月本堂庫裡 撤去


『NEGAI/開教の詩』1978 Drawing By Fukashi Hojo


『航海の果てに/Walking to Pure Land』
(NEW YORK version) ©北條不可思;Japon 
http://www.youtube.com/watch?v=udPBWNLO0Bo 


  1. 2008/01/12(土) 19:52:00|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
“Song & BowzuMan”
 since 1981


ENBAN&YAHIJIRI 
concert endlesstour
 since 1996
 

CANO BAND
 since 2006


*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身
1961年10月14日生まれ


浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター
1981年
浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/
得度
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市
開教専従員(1986~2005)
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

****************

FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)

*

【Born】
October 14, 1961
(1961-10-14)
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times

Message Performing Artist
Song&BowzuMan
singer-song writer
(A priest and a musician)  
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
HONGWANJI-HA
SHINRAN-SHONIN's750th MEMORIAL(2012)

★ Profile:プロフィール 詳細★

http://fukashi.blog50.fc2.com/
blog-entry-34.html

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