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♦♦♦♦♦♦北條不可思​​​"Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅠ・愚螺牛雑感記♦♦♦

"Song & BowzuMan”since 1981 & ENBAN YAHIJIRIMONOGATARI 🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶“縁絆・野聖物語” message concert endlesstour since 1996

野聖物語~やひじりものがたり~ 文/里 寿 2009年作・発表


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 野聖物語~やひじりものがたり~ 

 

 私は、歩いていた。

 この一歩こそが、迷いを断ち切る一歩と信じ、ただひたすら歩いてきた。

 おそらくは、長いこと歩いてきたのだろう。時には宿り木に身を預け、ひとときの憩いを楽しみ、そしてまた歩いている。

 

 彼の日、私は幼子であった。父も、母も亡くした寄る辺ない身。肩を寄せ合う弟とは生き別れた。握り締めた伯父の手だけが、かろうじて残る血脈のぬくもりだ。だが、それさえも離す覚悟を定める道のりを歩いた。

骨身に染みる娑婆の風は、えげつなく薄情に吹き荒んで、河原に打ち捨てられた命を喰らっている。

すでに陽は落ち、未練の爪が冷たく空に浮かんでいる。こんな修羅の世に身をとどめようがない。踵を返しようがない。だからもう見上げもせずに茜に滲む空に決別を告げた。

桜の花が無常の風に震えていた。川底の石は、浮かぶ術もなく非情に凍えていた。

切迫する我が身を抱えて一歩を踏み出す。

南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧

 

それでも尚、追慕のような恋しさは明滅を繰り返す。粟粒ほどの疑念に清冽な意識が破られる。とりでの中に身を置いて、静寂が約束されたほとりに佇んでいるのに。

清浄なる身を求める自意識に打ちのめされてしまったのだ。

 

私はふたたび歩き始めた。求め訪ねて季節を重ね、万に一つの知遇を得た。雑行を捨て、弥陀の本願に帰する。我が身を見限る時が来た。それは、偶然なのか、必然なのか。地獄なのか、極楽なのか。救済なのか、堕在なのか。よき師との出遇いも、はからいを超えた法爾であった。荒れた海から吹き上がる風の凄まじさもまた痛快なり。

根を下ろすべき時を迎えた証のように、守り育む新しい命に恵まれた。

ならば、抗う為に歩くのか。いや、これもまたありのままの私なり。

過去も未来も風は風。今、唯今も風は吹くだけ。思いを越えて、雨を呼び、雲を払い、花びらを飛ばし、野山を大地を駆け抜けていく。

 

 

静かな夜に、灯明が糸のように揺らめき、侘しさや切なさを紡いでゆく。

淡く浮かんだ我が身の影に命の不思議が映っている。

経巡るような道もあったか。心定まらぬ日々を怨んで泣いたか。落ちた涙のかすかな熱に正気を取り戻したか。

 いや、聞こえてくるのだ。呈した耳の奥底を震わせて確かに響いているのだ。真実が我を呼ぶ声が、願いが、はたらきが、私には、確かに聞こえるのだ。

南無阿弥陀佛

 

 私は、今も歩いている。

 摂取不捨の願力に心を任せて、私はただ歩いている。あなたが歩いているなら、私も歩いているのだ。 道はすでに仕度され、闇は破られている。佛智の光明の届かぬ先はない。 影の映らぬ在所はない。

 沈むよりほかない私も、弥陀の願いの船に乗り、彼の岸へと渡る。記憶に刻まれたすべての縁に別れを告げて。

 なればこそ歩こう。罪障脈打つこの体で、命そのままに私は歩く。

この白き道を。  


《了》
   

 

文/里 寿 2009年作・発表



野聖物語*フォトドキュメント(東京・築地本願寺2009年) 
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-203.html


『弥陀の佛の白き道』《HARD Version Basic Take;Incomplete》


《SAMDAM-NO-UTA》/讃佛偈意訳『仏説無量寿経』
~心の轍(2008年作) 《BASIC take ; Incomplete version》


智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ



真実

真というはいつわりへつらわぬを真という。

実というは必ずもののみとなるをいうなり。

讃阿弥陀仏偈和讃

 <第二首左訓>

 親鸞聖人

 FUKASHI HOJO VOW Leaves 
https://www.youtube.com/watch?v=j2eZpQ83f-I&list=PLdZ_0wIcoUZPE-3wJMsiPu4SVhjQXvISH



  1. 2007/06/30(土) 00:14:31|
  2. 未分類

プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
     ♦♦♦♦♦

《心に慈慧の響きと平安を》
  ❝Song & BowzuMan❞
    since 1981

縁絆&野聖物語
メッセージコンサート~1996
ENBAN&YAHIJIRImonogatari 
message concert endlesstour
since 1996

縁絆・野聖 Endlesstour 
眞信讃歌 18minutes
since 2019
*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身【三次生まれ呉育ち】

1961年10月14日生

浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター

得度
1981年10月15日
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市開教専従主管
(1986~2005)
:西本願寺相模原布教所:
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

****************

FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times
Song&BowzuMan
singer-song writer 
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
   HONGWANJI-HA
NISHIHONGWANJI:KYOTO
https://www.hongwanji.or.jp
/english/activity/index.html

TSUKIJIHONGWANJI:TOKYO

💎SHINRAN-SHONIN💎
  (1173 – 1263)

◇****◇****◇****◇

{本願を信じ念仏申さば仏に成る}
      {歎異抄}第十二条

― 善人なほもつて往生をとぐ、
     いはんや悪人をや。―
       {歎異抄}第三条

    おかげさまは
  ありがとうの生みの親
  {信心正因 称名報恩}

   この逆謗の穢愚身
     唯今ここに
   帰命尽十方無碍光如来 
    
     合掌称佛
  NAMOWAMIDABUCHI
    
    北條不可思
    (釋難思)

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