【Activity history/活動略歴;1961~2010】#2
【Activity history/活動略歴;2010~2023】#3
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影
{御影向の眼差し}
(2001年)
Copyright© HIDEKI ISHIHARA Tokyo JAPAN
(TSUKIJI HONGWANJI 2005 January )
(東京・築地本願寺本堂/2005)
‟Song & BowzuMan”
北條不可思
Monk
{Buddhism: Jodo Shinshu Hongwanji‐Ha & singer-songwriter}
浄土真宗本願寺派 僧侶/1981年得度♦シンガーソングライター
💎💎💎
‟Song & BowzuMan”
since 1981
&
ENBAN・ YAHIJIRIMONOGATARI
‟縁絆・野聖物語”
message concert endlesstour
since 1996
❖【Activity history/活動略歴;1961~2010】#2❖
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「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影
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(Song Collection Album)
1994~
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「詩曲作品集」
1980~
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唯信◇2023(令和5)年9月号
謹みて 有縁の皆様におかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。日没時間が早まり虫の音が聞こえてきて暑さが続くなかにも秋の到来が感じられます。厳しい暑さに耐えた疲れがにじみ出て来る時節でもあります。くれぐれもご無理なくお過ごしの事念じ申し上げます。
*
十方微塵世界の (じっぽうみじんせかいの)
念仏の衆生をみそなはし (ねんぶつのしゅじょうをみそなはし)
摂取してすてざれば (せっしゅしてすてざれば)
阿弥陀となづけたてまつる (あみだとなづけたてまつる)
:浄土和讃:弥陀経讃:親鸞聖人御作
【意訳】数限りないすべての世界の念仏するものを見通され、摂め取って決してお捨てにならないので、阿弥陀と申し上げる。
(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
微塵…①非常に小さい物質のこと。②細かく砕かれたもののように数の多いことを示す。このご和讃では②の意味を表している。
*
『阿弥陀(あみだ/アミータ)』とは、無量寿(むりょうじゅ/アミターユス)・無量光(むりょうこう/アミターバ)を表す言葉でありますから、摂取して決してお捨て下さらない仏さまなので阿弥陀仏、阿弥陀如来です。お釈迦さまも親鸞聖人さまも『阿弥陀』と呼ばれました。
『摂取してすてず』は摂取不捨のことですが、黒田覚忍和上は、「摂取」の辞典にある意味「摂は種類の異なるものを取り込むこと、取は同化して取り込むこと」を基ととして、如来の摂取とは、善悪、男女を選ばず異なったものを平等に如来の光明の中に取り込み、如来に同化するはたらきと語釈されています。(参照『浄土和讃』本願寺出版社刊)
親鸞さまは、『十方微塵世界』と表現されていますから、いかなるところであっても阿弥陀如来の光明が届かぬ先はないことを、強く強く私たちに伝えたいと願われたのではないでしょうか。私たちは、ついつい自らが、「こんな私に…」「こんなところに…」と思いがちですが、仏智の光明・慈悲の慧眼の届かぬことはないとお示し下さいます。
しかも、摂取不捨のお誓いは、ひとたび弥陀の本願の不思議に遇わせて頂きお念仏申し上げる者すべてに届いているのです。
{月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ }法然聖人
辛い体験は阿弥陀仏の救済の誓いを疑うタネになるかもしれません。深い悲しみに沈めば未来永劫、光を見ることはないと重い心を抱えるかもしれません。煩悩に苦悩し、誘惑に惑い、自分自身をも見失ってしまうことさえ起こり得ます。驕(おごり)昂(たかぶり)邪(よこしま)の心に充満されている我が姿に気づかないままに大切なものを失ってしまうこともあるでしょう。これはどれも誰かの身に起きることではなく、「私」に起きることです。そういう時に、私たちは阿弥陀如来さまを忘れてしまいます。しかしながら、こちらが忘れて知らぬ間に逃げて離れてしまっていても、追いかけてでも救うと誓われた仏さまが阿弥陀さまだと親鸞さまは讃歌されます。
十方微塵の世界の一切の衆生の一人である「私」は、いかなる時でも弥陀の本願の智慧の光明に照らされ護られています。その「証拠や証明」を求めて大いなる阿弥陀仏の誓願の不可思議を疑いながら限りない仏智のはたらきを信ずることは到底できません。学問の知識や経験による知恵は大切ですが、親鸞さまの深い願いの源泉をお聞きして、我がはからいを捨て、ただほれぼれと尊く有り難くお念仏申し上げたく存じます。
合掌称佛
住職 北條不可思
♦唯信:九坊院より言の葉だより♦
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派眞信山 蓮向寺
【相模原市当麻・九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。
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◇映画『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』fromシネマトゥデイ◇
◇映画『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』特報◇
★
深き縁:ENISHIをいただいております
我が国を代表する写真家のおひとり
長倉洋海氏の素晴らしい映画が完成。
2023年9月12日(火)〜24日(日) 発表・上映
されるとのこと・・・是非是非ご覧ください。
北條不可思
🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶
💎『悲しみを乗り越えて』 (2002年作 2008年発表)💎
{}悲しい花火 9 11 2001慈音の見た戦争{}
💎Remix & Remaster2022💎
[For memorandum]
『悲しい花火-9.11.2001慈音の見た戦争』
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{}浄土真宗本願寺派 勧学・司教有志の会{}
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」に対する声明
https://www.facebook.com/profile.php?id=100091286410899
🔶
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影
{乗り越え難いその立場を乗り越えて}
{覚悟と済度・進化と深化・洗心と洗脳‣伝道と聞法の乱舞}
{真実と新しき事}
伝統・伝灯・信仰・新興
❖残像と印象❖
‟真実は常に新しい、新しい事が常に真実とは限らない”
「真実」…親鸞聖人
智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ
真実
真というはいつわりへつらわぬを真という。
実というは必ずもののみとなるをいうなり。
讃阿弥陀仏偈和讃
<国宝本:左訓>
・・・
自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、
念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、
すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。
いづれの行もおよびがたき身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし。
{歎異抄/親鸞聖人語録集:第二条より}
『愈々 深く我が肝におさめて』
"師に遇うて師も師に遇うて南无阿彌陀佛”
・・・何とは申せませんが・・・
本願念仏(浄土真宗)を真底深く慶ばれる御方々で
阿弥陀如来様を「親様」
【私】を「仏の子」と語られることはありますが
その領解において
《私の煩悩と仏のさとりは 本来一ひとつゆえ・・・》の一節は
「仏の親:仏さまをより見下す視線」の如き表現のようです。
性別・年齢・人種・国籍の違い
名誉・地位・財産・権力・知識・教養の有無に関わらず
今までに聞いた事がありませんでした。
{表現の自由}は限りなく大切なことですが
この表現は余りにも・・・悲しく痛ましく恥ずかしい。
受け止めによっては
{聖道門:此土入聖}の御方々に対しても無礼極まりない表現。
修行も修学も必要なく成仏できるかのような表現ともなります。
ただただ、驚愕しました。
・・・
このたび
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」を拝読して
我が身心に響くことは
混乱、混迷、迷走惹起の言の葉の乱舞のように感じております。
帰属する源からのオフィシャルメッセージでしたので
困惑・違和感はもとより
深い悲しみが心の底から沸き続けております。
加えて
ご発布当時の勧学寮頭様、総長様は
任期全う出来ずすでに辞任。
是非とも是非とも宗門・現重要職諸師には
乗り越え難いその立場を乗り越えて
真によき舵取りをお願いしたいと切望しております。
悲歎とともに寂しさがつのるばかりです。
・・・
浄土真宗本願寺派【西本願寺】は
非常・異常の事態です。
理(宗意安心:教義理論)は通っておられる❔… のでしょうが
宗派公式としては、何か表現に無理をなさっておられるようで
浄土真宗本願寺派の宗風、派風に似合わない印象を抱きます。
特に《私の煩悩と仏のさとりは 本来一ひとつゆえ…》の一節には
誠に残念ながら、宗祖 親鸞聖人独特の風格音調を感じません。
愚生自身は娑婆の縁尽きるその時まで、煩悩具足の泥凡夫です。
煩悩の何たるかも自覚できず、煩悩とさとりは本来ひとつなのか、
そうでないかもわからぬ泥凡夫であるこのわたくしを、
{我をタノメ必ズスクウ}の
阿弥陀如来様の呼聲を聞信させていただくばかりです。
弥陀観音大勢至
大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ
有情をよぼうてのせたまう
『正像末和讃』
・・・なんと申しましても・・・
日本を代表する浄土教〔浄土門:彼土得証〕の
佛教教団なのですから
「時代の業」や「人の気」に惑わさることなく
迷信・邪信・狂信・の迷惑の闇に堕落する事なき
正信念佛:阿弥陀さまご因縁の正法
本願他力回向(阿弥陀如来様の・無窮の大智大悲)の詩響を
聴聞させて頂きたいものです。
なんと申しましても本願寺中興の祖 蓮如上人にご縁の深い
{領解文}を冠したメッセージなのですから。
《人道的、道徳的、倫理的、仏教哲学的、社会的》
何々の立場などという
表面的観念・相対的他人事にしてはなりませぬ。
宗教教団の持つ非常に繊細にして重要な問題であることはよくわかります。
しかし
・・・究極♢応知・・・
:わたくしの生死出づべき道の問題です:
~しょうじいづべきみち~
『航海の果てに/ On the white road』
1994年作
《NEW YORK version》
LYRICS&MUSIC WRITTEN BY :FUKASHI HOJO
☞♦Please click♦☜
『航海の果てに/ On the white road』
1994年作
《NEW YORK version》
LYRICS&MUSIC WRITTEN BY :FUKASHI HOJO
作詩・作曲・歌 北條不可思
歴史を超えて夢を見つけようよ
茨の道で愛(阿弥陀如来様の智慧と慈悲)を見つけよう
子守唄を忘れた親鳥と
空を恐れて怯える小鳥たち
幻を追いかける 愚かさが身にしみるけれど
戦う事に別れを告げ 共に今を歩こう
君と僕の間に 国境なんてないさ
+++++
瞳の奥の眼を開いて 心 さらして自分になろう
行く先に彷徨う 愚かさが身にしみるけど
争う事に別れを告げ 共に今を生きよう
君と僕の間に 国境なんてないさ
願いに生きることに目覚め
共に今を生きよう
君と僕の間に 国境なんてないさ
愛(智慧慈悲)を語り
誇り(真実信心)を持って 共に今を歩こう
君と僕の間に 国境なんてないさ
*
すべての命よ 心からありがとう
すべての命が 輝きますように
Dear Friends、Let's Be REAL FRIENDS.
心から ありがとう
*
すべての命よ 心からありがとう
すべての命が 輝きますように
Dear Friends、Let's Be REAL FRIENDS.
心から ありがとう
*
すべての命よ 心からありがとう
すべての命が 輝きますように
Dear Friends、Let's Be REAL FRIENDS.
心から ありがとう
Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi
(南無帰依佛)
Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi
(南無帰依法)
Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi
(南無帰依僧)
NAMO-WAMIDABUCHI
南无阿彌陀佛
夢:親鸞聖人(夢告讃)
Copyright © 1994 by Special Jion Music
Fantasia Records de JION MusicFactory
‟応知”
頭で知っていることを、心身に身に染みて『まさ:確かに知る』こと。
観念の言の葉遊びとは次元がちがいます。
「わが身の愚かさ:煩悩具足の泥凡夫」の表面の自覚は
表面的な理解です。
阿弥陀如来様の智慧の光明によってこそ
「わが身の愚かさ」を知らしめていただけます。
佛陀でもないのに不用意に
佛様の側からの視線を人間が表現する事は・・・
それ自体が「疑いの無明の闇 噓・偽りだ」と、
親鸞聖人、蓮如上人は導いてくださいます。
「愚者になりて往生す」と御教導くださる
親鸞さまの直接の師、法然聖人の究極のメッセージを受け継がれて…。
-野聖物語-
1987年作
https://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/202208110000/
・・・聖人(親鸞聖人様:筆者)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候ひしことを、いままた案ずるに、善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしづみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)といふ金言に、すこしもたがはせおはしまさず。 さればかたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずして迷へるを、おもひしらせんがためにて候ひけり。まことに如来の御恩といふことをば沙汰なくして、われもひとも、よしあしといふことをのみ申しあへり。・・・
{歎異抄:後序より}
このたび
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」が
世にご発布されました。
愚生(穢愚身の泥凡夫)には難し過ぎます。
超難解(文章の意の理解)のお領解文です。
おそらく、知識と教養豊かな方々には理解容易なお文なのしょう。
御開山 親鸞聖人
御誕生850年・立教開宗800年(2023年)の年に。
・・・
"Song & BowzuMan”
NAMOWAMIDABUCHI
{追の記}
何故ゆえに宗祖親鸞聖人は
・・・応信釈迦如実言を応信如来如実言・・・
{正信念佛偈}とされたのか。
【顕浄土真実教行証文類 行巻/坂東本:国宝 真宗大谷派様より】
何故ゆえに蓮如上人〔本願寺中興の祖〕は
・・・次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と・・・
とされたのか。【蓮如上人 領解出言の文より】
よくよく
お聴聞させて頂かなくてはなりません。
有り難いご縁です。
・・・究極♦♦♦♦♦♦♦応知・・・
:わたくしの生死出づべき道の問題です:
~しょうじいづべきみち~
{乗り越え難いその立場を乗り越えて}
~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
合掌称佛
南无阿彌陀佛
浄土真宗本願寺派 僧侶 シンガーソングライター
北條不可思
【愚螺牛】
法名:釋難思
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『曇り硝子の四行詩』
(2021年作)
作詩・作曲 北條不可思
WRITTEN BY: FUKASHI HOJO
-親鸞聖人の御和讃を念ふ-
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年(2023年)を機縁に。
‟真実は常に新しい、新しいものが常に真実とは限らない”
『愈々深く我が肝におさめて』
愚螺牛
馬鹿なMONK(僧侶)の絵空事 語りつくせぬ独り言
言の葉,紡ぐ老詩人【その実(unvoiced)】 空を見つめてうわの空
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
夢と悪夢の空遠く 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
今も昔も 未来まで 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(因:真実信心)を踏む~
だから 音符は宇宙を舞う
表拍子と裏拍子 凍(い)てつく瞼)の変拍子
朝な夕なの念佛は 閻魔が阿弥陀に還る音
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(信心正因:真実信心)を踏む~
だから 音符は宇宙を舞う(称名報恩)
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
正信念仏偈より
Music&lyrics FUKASHI HOJO
Copyright © 2021 by Special JION Music
*Photography&TextCopyright © 1981-Special JION Music
Fantasia Records de JION MusicFactory
in association with ENBAN FUKASHI-NO-KAI
OfficeAmitahouse&VOW BREATH PRODUCTIONS
『和国に生まれて』♯1
(1993年作)
:2022年12月19日 BASIC RECORDING
和国という名の 片州に生まれ
乳離るるころにゃ 弥陀佛(midabu)と語る
※人が泣いとる 声押し殺し
銭と病に 震えとる
※啼けよなこうや わしらは自由
わしらの自由が 弥陀佛(midabu)の願いじゃけん
※縁があるんなら ちょいと一緒に歩こうか
往くも行かんも 貴方(anata)しだいよのー
※船を出そうや 日の落つるとこ(西方浄土)へ
乗るも乗らんも
真心(まごころ)(眞實信心)ひとつよのー
※果てなく際きわ無なき 時空じくうの果ては
平(taira)で等(hitoshi)き 阿弥陀:WAMIDAの命よのー
『和国に生まれて』♯1
(1993年作)
:2022年12月19日 BASIC RECORDING
ÐS#12 通算27作目『Freedom and Equality:自由に平等』収録曲
2023月14日発表予定
Music&lyrics FUKASHI HOJO
Copyright © 2022 by Special JION Music