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♦♦♦♦♦♦北條不可思​​​"Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅠ・愚螺牛雑感記♦♦♦

"Song & BowzuMan”since 1981 & ENBAN YAHIJIRIMONOGATARI 🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶♦♦♦🔶“縁絆・野聖物語” message concert endlesstour since 1996

"Song & BowzuMan”★ August 2022#Ⅳ💎💎『茜雲』~生まれ往く者へ~(2006年作)Remix & Remaster 呈上 浄土真宗本願寺派 西本願寺・勧学 淺田正博(恵真)和上💎♦唯信:九坊院より言の葉だより♦ 2022(令和4)年8月号♦(正像末和讃:親鸞聖人)♦悲戦・非戦・愚戦・不戦 2022 "平和とは何ぞや”♦💎💎 ❝心に慈慧の響きと平安を​ーNAMOWAMIDABUCHI​❞ from "Song & BowzuMan”



“Song & BowzuMan”
Monk (Buddhism: Jodo Shinshu Hongwanji‐Ha & singer-songwriter)
​ 浄土真宗本願寺派 僧侶/1981年得度♦シンガーソングライター "
💎💎💎

Song & BowzuMan”since 1981 
&
ENBAN “縁絆・野聖物語” concert endlesstour since 1996 

ENBAN:縁絆 “彌陀の本願を縁じ、念佛を絆ず”
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~

NAMOWAMIDABUCHI
💎プロフィール&リンク💎

August 2022#Ⅳ

【この穢愚身 唯今ここに 帰命尽十方無碍光如来】
北條不可思/法名:釋難思




"Song & BowzuMan”

〝弥陀の本願を縁じ、念佛を絆ず〟

 NAMOWAMIDABUCHI 



『茜雲』

~生まれ往く者へ~

2006年作)

Remix & Remaster 2022

呈上

浄土真宗本願寺派

西本願寺・勧学

淺田正博(恵真)和上

作詩・作曲 北條不可思


生まれし場所を後にして 旅の途中で宿り木と

心に決めた砂の城 風に吹かれて足跡もなし

真実と現実と幻と 見分けがつかぬ旅の空

我が身の限りに震えつつ 心のたびは黄昏る

夢見し君は今何処 夢見し夢は今はどこ

Ah-人生の終わりの時 及ばぬ里へ 生まれ往く

旅路の果ての茜雲 擦り切れたブーツ:佛に頭を垂れる

もはや我が力と思えぬと 唯ひたすらに荒れ野を往く

夢見し君は今何処 夢見し夢は今はどこ

Ah-人生の終わりの時 及ばぬ里へ 生まれ往く

その人、先に生まれ往き  後の世渡す橋となる

そのあと 生まれし迷い人 訪ねる先の易きかな

夢見し君は今何処 夢見し夢は今はどこ

Ah-人生の終わりの時 及ばぬ里へ 生まれ往く

 

西本願寺:宗学院別科三部作
西本願寺 宗学院別科 佛教概論御講師
浄土真宗本願寺派 勧学 淺田正博(恵真)和上の
御講義受講を機縁に 作詩、作曲 呈上

https://shinshinzan.blogspot.com/2022/07/vow.html

 

龍谷大学 大宮学舎 大宮本館講堂
宗学院別科講義主要会場
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朝日新聞
京都/2004年2月27日

LYRICSMUSIC WRITTEN BY FUKASHI HOJO

Recorded and mixed by Sun Ashow

Produced by GURAGYU

Copyright © Special JION Music 2006

Fantasia Records de JION MusicFactory


画像

北條不可思CD作品制作一覧

Song Collection Album19942022

https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb

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唯信◆2022(令和4)年8月号

このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる

浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市南区当麻:九坊院】

有縁の方々にお送りいたしました通信です。


謹みて 有縁の皆さまには、例年にもまして続く猛暑にお見舞い申し上げますとともに、お念仏ご相続の事と拝察申し上げます。

 第7波を数えるコロナ・ウィルス感染者数が増えるたびに夏のイベントの開催中止や縮小の報道が続いています。コロナ専門病床のひっ迫や医療崩壊の危機など、行動抑止を促す情報も増えているように感じます。無防備で良いとは申せませんが、世の中に充満する3回目のウィズコロナの夏だからこそ各自の判断で行動を決めたいという意志に賛同したくなります。「ほとんどのケースが軽症だが、場合によっては命にかかわる事も…」という解説は多くの病に当てはまるのでは? コロナへの対応は法律で定められているので、結果的に過度な負担が医療や介護の現場で働く方々に及んでいるように感じます。いずれは法律も改定されると想定しつつ、自己判断のために有益な知識の蓄積をしておきたいものだと思うところです。


弥陀みだがん広海こうかい

凡夫ぼんぶ善悪ぜんあくしんすい

帰入きにゅうしぬればすなはちに

大悲だいひしんとぞてんずなる

正像末和讃しょうぞうまつわさん:親鸞聖人)


【意訳】阿弥陀仏の本願の大海に、凡夫のさまざまな心の水が流れこんだらなら、その善悪にかかわらずただちに大いなる慈悲の心に転じられる。 

(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)

善悪の心水…衆生(生きとし生けるものすべて=「この私」)の善悪の心を水にたとえている。

「あぁありがたい――。本当に親鸞さまは心の底からうれしかったのでしょうね。その比類なきよろこびが伝わってくるように感じます」。

 東京仏教学院(築地本願寺内)で学んでいた時に恩師の林水月和上(本願寺派勧学)の声が聞こえて来るような御和讃です。

 煩悩具足の泥凡夫の「私」が如来大悲の恩徳に、無条件に救われ真実信心を賜るよろこびは、どんな境遇にあっても色あせることがありません。私たちは生老病死の身で常の無い瞬間(一息)を生きています。生まれて死ぬまで不変のままに人生を送った人など古今東西ただの一人として存在しないことは、疑うまでもありません。 

それでもやはり、我の都合に良いことは手放せず、悪しきことから逃れたいと抵抗して、自分なりに精一杯の善行をして、悪行には背を向けてよりよい人生(幸福と思える時間と言えるかもしれませんが)を得たいがための努力を重ねたのに望み通りにはいかないことを嘆かずにはおれません。後悔や悔悟と無縁の人生があるのでしょうか。  

そのようにある姿を、親鸞さまは『凡夫善悪の心水』と、心の有り様を水にたとえられ、阿弥陀如来さまの智慧と慈悲そのものである大慈大悲のご本願の広大なる海に至れば、広い海に川の水が流れこむと一つの味になるように、泥凡夫の「私」の無明煩悩の心もたちまちに阿弥陀如来さまの大慈悲心に転ぜられ、絶対に一切の条件なく救ってくださる阿弥陀如来さまのご恩徳を仰がれ喜びと共に讃じられました。〝弥陀の本願を縁じ、念佛を絆ず。アァ、ナモワミダブチ〟

信仰とは、常に確信と疑念を有します。葬儀を始めとした仏事を勤める宗教と個人の信仰は異なるとお考えの方もおられることでしょう。愚生には、それを裁定する力はありません。しかしながら、『地獄に落ちる』ことの判定基準が金品ではない事は明白です。無条件に救われる絶対他力の醍醐の味を共々にお聴聞させて頂きたいと心から強く願うばかりです。

合掌称佛 

住職  北條不可思




​​HIROSHIMA​​​

縁絆コンサート(2002年)/広島平和記念資料館メモリアルホール

​​http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html​​

​​​2015年夏 第二次世界​大戦終結70年、広島・長崎被爆70年を機に作す。​​


草木も生えぬと他人は言う  私も心で思ってた
恥いることさえ奪われて 知らぬあいだに今を得る
AhAhAh- AhAhAh― 悲しみを,乗り越える,
(sube)など知らねども・・・  されど今を得る

陽のあたる場所は熱すぎて 生きる勇気がかすみゆく
それでも慈光:hikariを求めては 動かぬ足に声かける
AhAhAh- AhAhAh
苦悩の因(tane),離れて遠ざかる,
(sube)など知らねども・・・  されど今を得る

人に歴史があるのなら 路傍の石にも語り継ぐ
声を限りに詩い継ぐ 尊く厳しい歌がある
AhAhAh- AhAhAh
偽る心すら,裏切れなくなって,
絆を思い切り・・・  詩う歌がある

“尊厳とか、やさしさとか、慈しみとか、癒しとか・・・
決してお手軽な言の葉ではない。
平和・原爆資料館 長島愛生園 NYトレードセンター跡
ホロコースト記念館・・・国の内外を問わない無数の
『呻き・嘆き・絶望」の証。

愚生にとりて
そこを離れて語れない。歌えない。
もはや
ライスワーク・ライフワークを
共に超えたる業です。

南无阿彌陀佛

NAMOWAMIDABUCHI

NAMOAMIDABUTSU



 ​中国新聞(広島)2002年9月1日 ​配​信 ​​​​​



​​

IMAGINE Blowin’in the Wind With JION's bell★by Fukashi Hojo 2020-2022#2

​​​​​​​I​MAGINE&Blowin​​’in the​​​Wind​​​​
With JION's bellby Fukashi Hojo

​​『イマジン』ジョンレノン&『風に吹かれて』ボブディラン

そして尊厳の鐘(北條慈音)

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縁絆コンサート2002

広島平和記念資料館メモリアルホール 

http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html

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『航海の果てに/ On the white road 

NEW YORK official version1994年作: FUKASHI HOJO VOW Leaves

​​北條不可思 “詩の葉【限定公開】

​『航海の果てに/ On the white road

1994年作《NEW YORK version

LYRICSMUSIC  WRITTEN BY :FUKASHI HOJO

​​(1994年10月 軽井澤・万平ホテルにて作す)

​​​​作詩・作曲・歌 北條不可思


歴史を超えて夢を見つけようよ 

茨の道で愛(大慈大悲)を見つけよう

子守唄を忘れた親鳥と 

空を恐れて怯える小鳥たち

幻を追いかける 愚かさが身にしみるけれど

戦う事に別れを告げ 共に今を歩こう

君と僕の間に 国境なんてないさ

+++++

瞳の奥の眼を開いて 心 さらして自分になろう

行く先に彷徨う 愚かさが身にしみるけど

争う事に別れを告げ 共に今を生きよう

君と僕の間に 国境なんてないさ

願いに生きることに目覚め 

共に今を生きよう

君と僕の間に 国境なんてないさ

(智慧慈悲)を語り

誇り(真実信心)を持って 共に今を歩こう

君と僕の間に 国境なんてないさ

*

すべての命よ 心からありがとう

すべての命が 輝きますように

Dear FriendsLet's Be REAL FRIENDS.

心から ありがとう

*

すべての命よ 心からありがとう

すべての命が 輝きますように

Dear FriendsLet's Be REAL FRIENDS.

心から ありがとう

*

すべての命よ 心からありがとう

すべての命が 輝きますように

Dear FriendsLet's Be REAL FRIENDS.

心から ありがとう

Buddha saraa gacchāmi

(南無帰依佛)

Dhamma saraa gacchāmi

(南無帰依法)

Sagha saraa gacchāmi

(南無帰依僧)

NAMO-WAMIDABUCHI

南无阿彌陀佛


Copyright © 1994 by Special Jion Music

Fantasia Records de JION MusicFactory




Produced by GURAGYU
総指揮:愚螺牛
NAMOWAMIDABUCHI

Pohtography,Text,Poetry,Lyrics
Copyright © 1981-Special JION Music
Fantasia Records de JION MusicFactory
in association with ENBAN FUKASHI-NO-KAI






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https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9


枯れ葉の願い 1981~2022

謹みて
心静かに八万四千といわれるお釈迦様の説教の中から、出世の本懐である「本願他力のみ教え」
浄土の法門、阿弥陀如来様の智慧と慈悲のお心を頂き、私共の一生をよくよく見つめてみれば、もはや、修行と学問を修め、成仏の証を完成できない末法の世にあって、まさに人の命は儚いもので、生涯の始まり、中頃、終わり、すべては夢、幻のようなものであります。 すなわち、人間にして一万歳の寿命を受けたということを知りません。一生は過ぎやすく、未だに誰か百年、二百年も生き長らえた人がありましょうか。死というものは、自分が先か、他人が先か、今日か明日かも分からず、自分より遅れたり、先に死んでゆく人は、木の葉につく雫や露よりもなお多いといいます。しかるに、朝には紅色の顔をしている若者が、もう夕方には死んで白骨になることも、また、事実であります。 まさに、死に至る縁は無量であります。 早くも無常の風が吹いてくれば、ふたつの眼はたちまちに閉じ、ひとつの息は永久に絶えてしまいます。紅色の顔は虚しく変わって、桃の季節のような美しい姿も消えてしまいます。
 その時に至って、親、子、夫婦、兄弟姉妹、師匠、弟子、知人、友人など、縁有る人々が集まり嘆き悲しんでも、元に戻ることはありません。これをお釈迦様は「諸行無常」と申されました。
そうそう悲しんでもいられず、野外におくって火葬にふせば、そこには唯、白骨のみ残ります。哀れといっても言い切れないほどの悲しみ、虚しさ、儚さ、さびしさであります。 我等が命の儚さは、老人が先か若人が先か、子供が先か、病の者が先か、健康な者が先か、全く分かりません。その答えは風に舞っているが如くであります。こい願がわくば、誰もがはやく、命の尊厳と真の誇りに目覚め、お釈迦様が説教くださる、大無量寿経の教説《阿弥陀佛の大いなる悲願》を心の拠り処とし、「南無阿弥陀佛 ナマンダブ」と念佛を称えつつ、仏教の教えには無い、占いや、まじない、たたり等といった迷信、邪教、外道に迷うことなく、与えられた今日の日をありのままに生き抜き、名残惜しくとも、この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき、限りない真実の智慧と慈悲の佛様の心の世界、西方阿弥陀佛国土へ往き生まれるのであります。これを浄土真宗において「往生浄土」と戴きます。
愚生は、罪業深重にして、学浅く、禿(カムロ=ザンバラ髪の意;愚生は現在巻き毛)の穢愚身無戒名字の念佛の僧侶ではありますが、命がけの尊いご縁を賜った皆様へ筆を取り、心を込めてお便りさせて頂きます。
 この文章は、混乱混迷の時代に人生を歩む私共へ、善人、悪人、性別、年齢を問わず、学問知識、名誉地位財産の有無を離れ、「阿弥陀如来の本願を信じ、念佛申うさば無条件に佛になる」と示され、在野に生き、『野の聖』と呼ばれ、和国・日本佛教の歴史のなかで異彩を放つ浄土真宗宗祖・親鸞聖人の御本意、『教行信証』『歎異抄』の一節を加え、本願寺第八代蓮如上人の『白骨の御文章』を取意自釈し、法話にかえて書き記させて頂きました。
 どうぞ、この佛縁によって、火宅無常の世界を乗り越えさせていただき、いよいよ眞実(マコト)の絆となりますよう心から念じております。            

~弥陀の本願に境界線はありません~
 南無阿弥陀佛
-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に― 

浄土真宗本願寺派(本山/京都・西本願寺 東京首都圏・築地本願寺)
 眞信山蓮向寺・当麻九坊院・ 住職 北條不可思(法名 釋難思) 2022




『遊牛の詩』

YUGYU NO UTA

「歎異抄」第三条を機縁に

 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―

/曲 北條 不可思

(浄土真宗本願寺派:西本願寺築地本願寺/ 僧侶:シンガー・ソングライター)

 

1996年作

 

*善人なおもて往生す

ましていわんや悪人はなおさらだ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

+++++++

自由だ平和だ人権だと騒ぐ前に我々は何をしてる

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

 

**毎日何かの命を喰らって生きてるくせに

人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる

ねずみに勝利を渡す牛になりたい

ねずみに勝利を渡す牛になりたい

悠々と歩む牛になりたい

悠々と歩む牛になりたい

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

+++++++

 

明日ありと思う心の浅はかな愚かな己の精神よ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

福祉だ教育だ環境だと騒ぐ前に我々は何をしてる

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

毎日何かの命を喰らって生きてるくせに

人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる

 

ねずみに勝利を渡す牛になりたい

ねずみに勝利を渡す牛になりたい

悠々と歩む牛になりたい

悠々と歩む牛になりたい

 

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

*善人なおもて往生す

ましていわんや悪人はなおさらだ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

 

善人なおもて往生す

ましていわんや悪人はなおさらだ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

善人なおもて往生す

ましていわんや悪人はなおさらだ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい

善人なおもて往生す

ましていわんや悪人はなおさらだ

Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい


Produced by GURAGYU:愚螺牛


Copyright © 1996,;renewed 2009 by Special JION Music


《親鸞聖人;西本願寺/公式サイト》

http://www.hongwanji.or.jp/

Copyright ©1996; renewed 2009 Special Jion Music

lyricsmusic -Fukashi Hojo

Engineer by Sunchess White Ash

Produced by GURAGYU


Fantasia Records de JION MusicFactory

in association with ENBAN FUKASHI-NO-KAI

OfficeAmitahouseVOW BREATH PRODUCTIONS


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YUGYU NO UTA/遊牛の詩

1996年6月
改めて思い知る『命の尊厳』の証≪命の尊厳とは、
人間の尊厳といった限定されたものではない≫を信じ、
『縁』と『絆』をキーワードに「第一回・縁絆コンサート エンドレスツアー」を
東京・築地本願寺講堂に於いて開催。
その2ヵ月後、
―善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―
世界的に知られる、親鸞聖人語録「歎異抄」第三条の言の葉の放つ響きと、
重度障害を持つ、息子・慈音との生活の中から、
インスパイアされ生まれ出でた詩曲[遊牛の詩]を書き上げる。
Song&BowzuMan・歌うお坊さん/北條不可思の代表作の一曲となる。
北條不可思にとってのLike A Rolling Stone;BOB DYLANであり恩徳讃歌でる。

☆彡☆★★★★★★★★☆彡☆


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画像13を拡大表示

♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023






恩師​​はやし水月すいげつ和上わじょう

​​​​浄土真宗本願寺派(西本願寺) 勧学​​​

​​​​​​​京佛教学院​​​​​ 講師​​​:築地本願寺内

​​【中国新聞社:広島 元論説委員】


『犬はワン、ネコはにゃん。私はなんまんだぶつとなくんじゃね-』

『どんな時でも、衆生:シュジョウと出てきたときは

《この泥凡夫:罪悪深重にして地獄一定のわたくし》といただくのですよ』

恩師 林水月和上の常のお言葉です。

41年を経ても忘れられない。

NAMOWAMIDABUCHI

f・HOJO 2022



『今日の日は永遠の今』

1981年作品

作詩・作曲 北條不可思

呈上

恩師​​ 林水月和上

​​​​浄土真宗本願寺派(西本願寺) 勧学

画像1

​​​​​『野聖物語~我が心の親鸞聖人』 ShinranShonin of my mind2009年発表】に収録

https://note.com/dabuchi39180428/n/ncb2fec7e0055

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南无阿彌陀佛

NAMOWAMIDABUCHI

NAMOAMIDABUTSU

『心に慈慧の響きと平安を』

北條不可思

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♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023

https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb



PhotographyCopyright©(石原秀樹)JAPAN

"Song & owzuMan”since 1981

&

ENBAN 縁絆・野聖物語 concert endlesstour since 1996

Footprints


 






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"Song & BowzuMan”39BOOK pecial CD

《歌嘆骨音:KATANKOTON

draft  



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彡☆彡​★★★★★★★★​☆彡☆

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​​​​現代和讃を謡う吟遊詩人へ​​​

​​​​​​メッセ-ジ フロム 三國 連太郎​​
​​​​

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  1. 2022/08/22(月) 15:51:00|
  2. 未分類
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プロフィール

Song&BowzuMan

Author:Song&BowzuMan
     ♦♦♦♦♦

《心に慈慧の響きと平安を》
  ❝Song & BowzuMan❞
    since 1981

縁絆&野聖物語
メッセージコンサート~1996
ENBAN&YAHIJIRImonogatari 
message concert endlesstour
since 1996

縁絆・野聖 Endlesstour 
眞信讃歌 18minutes
since 2019
*

北條不可思【愚螺牛・華思依】
ほうじょうふかし
【ぐらぎゅう・かしい】
法名/釋難思(しゃくなんし)

広島県出身【三次生まれ呉育ち】

1961年10月14日生

浄土真宗本願寺派・僧侶
シンガー・ソングライター

得度
1981年10月15日
(法名・釋難思/シャク ナンシ)

浄土真宗本願寺派
(本山・西本願寺)
http://www.hongwanji.or.jp/

浄土真宗本願寺派
東京首都圏都市開教専従主管
(1986~2005)
:西本願寺相模原布教所:
(築地本願寺内)
http://tsukijihongwanji.jp/

浄土真宗本願寺派・
眞信山蓮向寺住職(1991~)
http://renkoji.org/

****************

FUKASHI guragyu HOJO
Shaku Nanshi(Priest Name)
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN.
【Years active】
1981-modern times
Song&BowzuMan
singer-song writer 
Priest(Shin-Buddhism,
Pure Land Buddhism)
JODO SHINSHU
   HONGWANJI-HA
NISHIHONGWANJI:KYOTO
https://www.hongwanji.or.jp
/english/activity/index.html

TSUKIJIHONGWANJI:TOKYO

💎SHINRAN-SHONIN💎
  (1173 – 1263)

◇****◇****◇****◇

{本願を信じ念仏申さば仏に成る}
      {歎異抄}第十二条

― 善人なほもつて往生をとぐ、
     いはんや悪人をや。―
       {歎異抄}第三条

    おかげさまは
  ありがとうの生みの親
  {信心正因 称名報恩}

   この逆謗の穢愚身
     唯今ここに
   帰命尽十方無碍光如来 
    
     合掌称佛
  NAMOWAMIDABUCHI
    
    北條不可思
    (釋難思)

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